中国映画の新鋭ワン・シャオシュアイの『ルアンの歌』は、彼の監督作のなかで初めて政府の検閲を通った作品である。この映画では、都市と農村の経済格差が広がり、農民の都市への大量流出が深刻な問題になっている80年代末の時代を背景に、都会に出てきた若者トンツーの物語がフィルム・ノワールのスタイルで描かれる。
そこには、人々がどのようにして市場経済や消費社会の洗礼を受けるのかという主題が見えてくる。
――『ルアンの歌』には、都市と農村の経済格差という社会的な現実とフィルム・ノワールというふたつの要素がありますが、それがどのように結びつくことになったのでしょう。
ワン・シャオシュアイ(以下ワン) まず最初に農村からの人口流出という問題がありました。ご存知かとは思いますが、改革開放政策にともなって、都市の建設ラッシュが起こり、大量の労働力が必要となり、農村からたくさんの人々が出稼ぎに出て行きました。その結果、ものを取ったり、金をめぐって争うなど、あちこちで混乱が生じるようになりました。この映画は、その混乱を撮ろうというところから始まりました。
――フィルム・ノワールというスタイルを選んだのは。
ワン 中国にはいわゆる暗黒街とか、巨大なギャング組織のようなものは存在しません。確かにいろいろ報道はされますが、ほとんどは農村から出てきた同郷人の集団が、盲目的に悪事を働いてしまうというのが現実です。欧米のような完全なギャングやギャング社会のようなものはないので、フィルム・ノワールというほどのものではありません。
――フィルム・ノワールをそれほど意識していなかったということですか。
ワン 意識してなかったといえば嘘になります。フィルム・ノワールは非常に魅力的だと思いますし、素晴らしい作品がたくさんあるのは知っています。中国でもちょっと前になりますが、香港のフィルム・ノワールを模倣したような作品も撮られています。ただそれは、本当に表面的な物真似に終わっていて、黒いスーツを着て、サングラスをかけてといった形式だけのもので、
そういう作品は撮りたくないと思いました。もっとリアルな社会を描きながら、フィルム・ノワール的なものも加味したいと思うのですが、そこには矛盾がある。本当のギャングは中国には存在していないので、そういうものを撮るわけにはいかない。そこで、もっと中国的な犯罪劇を撮ろうと考え、こういうかたちになったわけですが、そうなると今度は審査に引っかかるわけで、そういう問題も考えなければなりませんでした。
――アメリカでは40〜50年代の保守的な時代に、検閲を逆手にとるようにフィルム・ノワールの表現が磨かれ、スタイルを形成した歴史があり、『ルアンの歌』はそんな歴史を想起させるのですが。
ワン 40〜50年代のアメリカ社会についてはよく知りませんが、いまの中国にもそういう社会的な背景があって、実際に犯罪そのものを映画化することはとても難しい。だから映画の雰囲気にそれを出すというのは面白い試みだと思いました。現実的な犯罪映画を中国で撮るというのはとても無理ですから。
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