ワン・シャオシュアイ・インタビュー
Interview with Xiaoshuai Wang


2000年10月 渋谷
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(初出:「キネマ旬報」2001年1月上旬号、大幅な加筆)
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改革開放以後の社会を見つめる眼差し

 

 中国映画の新鋭ワン・シャオシュアイ『ルアンの歌』は、彼の監督作のなかで初めて政府の検閲を通った作品である。この映画では、都市と農村の経済格差が広がり、農民の都市への大量流出が深刻な問題になっている80年代末の時代を背景に、都会に出てきた若者トンツーの物語がフィルム・ノワールのスタイルで描かれる。 そこには、人々がどのようにして市場経済や消費社会の洗礼を受けるのかという主題が見えてくる。

――『ルアンの歌』には、都市と農村の経済格差という社会的な現実とフィルム・ノワールというふたつの要素がありますが、それがどのように結びつくことになったのでしょう。

ワン・シャオシュアイ(以下ワン) まず最初に農村からの人口流出という問題がありました。ご存知かとは思いますが、改革開放政策にともなって、都市の建設ラッシュが起こり、大量の労働力が必要となり、農村からたくさんの人々が出稼ぎに出て行きました。その結果、ものを取ったり、金をめぐって争うなど、あちこちで混乱が生じるようになりました。この映画は、その混乱を撮ろうというところから始まりました。

――フィルム・ノワールというスタイルを選んだのは。

ワン 中国にはいわゆる暗黒街とか、巨大なギャング組織のようなものは存在しません。確かにいろいろ報道はされますが、ほとんどは農村から出てきた同郷人の集団が、盲目的に悪事を働いてしまうというのが現実です。欧米のような完全なギャングやギャング社会のようなものはないので、フィルム・ノワールというほどのものではありません。

――フィルム・ノワールをそれほど意識していなかったということですか。

ワン 意識してなかったといえば嘘になります。フィルム・ノワールは非常に魅力的だと思いますし、素晴らしい作品がたくさんあるのは知っています。中国でもちょっと前になりますが、香港のフィルム・ノワールを模倣したような作品も撮られています。ただそれは、本当に表面的な物真似に終わっていて、黒いスーツを着て、サングラスをかけてといった形式だけのもので、 そういう作品は撮りたくないと思いました。もっとリアルな社会を描きながら、フィルム・ノワール的なものも加味したいと思うのですが、そこには矛盾がある。本当のギャングは中国には存在していないので、そういうものを撮るわけにはいかない。そこで、もっと中国的な犯罪劇を撮ろうと考え、こういうかたちになったわけですが、そうなると今度は審査に引っかかるわけで、そういう問題も考えなければなりませんでした。

――アメリカでは40〜50年代の保守的な時代に、検閲を逆手にとるようにフィルム・ノワールの表現が磨かれ、スタイルを形成した歴史があり、『ルアンの歌』はそんな歴史を想起させるのですが。

ワン 40〜50年代のアメリカ社会についてはよく知りませんが、いまの中国にもそういう社会的な背景があって、実際に犯罪そのものを映画化することはとても難しい。だから映画の雰囲気にそれを出すというのは面白い試みだと思いました。現実的な犯罪映画を中国で撮るというのはとても無理ですから。

 


◆プロフィール

王小帥(ワン・シャオシュアイ)
1966年生まれ。中国第6世代の中でも、最も才能のある監督の一人として世界的に注目され、クエンティン・タランティーノ、アトム・エゴヤンもその才能を認めている。 1989年に北京電影学院を卒業した彼は、福建の撮影所に派遣され、助監督になる。その後デビュー作『The Days』を撮るが、中国政府のブラックリストにチャン・ユエンらとともに載せられ、変名で作品を発表したりしていた。 本作品『ルアンの歌』は、初めて検閲を通った作品である。

1994年 『The Days』
テサロニキ映画祭グランプリ/タオルミナ映画祭監督賞
1997年 『Frozen』
ロッテルダム映画祭審査員特別賞/リミニ映画祭準グランプリ
1998年 『ルアンの歌』

(『ルアンの歌』プレス資料より引用)

 

 


――この映画の背景には農民の都市への大量流出という現実があります。この現実というのは、言葉を変えれば、人々がどのようなかたちで市場経済や拡大する消費社会の洗礼を受け、そのなかを生きていこうとしているのかを描くことだといえると思います。第6世代以降の監督たちは、第5世代と違い、競争社会のなかで自分たちの力で映画を作っていかなければならないという意味で、同じ洗礼を受けています。 この映画は、監督にとって身近で切実なテーマを扱っていると思うのですが。

ワン まず私が育った環境と関係があります。私は親の仕事の都合で、あちこち転々とする環境で育ち、いつも漂流しているような感覚とともに成長しました。それが映画の主人公に似ています。それからもうひとつは、まったくおっしゃる通りです。改革開放と市場経済の導入で、中国の映画のシステムがまったく変わりました。第5世代の監督たちは卒業するとすぐに映画製作所に配属されて、 国の金で映画を撮ることができたわけですが、私たちは学校を出たときにはすでに市場経済が導入され、自分の力で映画を撮るしかなかった。映画製作所にはお金がないので、他の実業家とかに頼って撮らざるをえない。自分で自分の道を切り開かなければいけないという意味で、主人公と非常に境遇が似ていると思います。

――この映画では、ガオピンとルアンホンの二人とトンツーのあいだに引かれた一線が印象に残ります。内気で不器用なトンツーはルアンホンに対する感情を直接的な行動で表すことができないし、これまで辛い体験をしている彼女の方も、優しさとか誠実さだけでは都会で生きられないことを知っているし、仮にそれを受け入れれば、その後の現実がさらに辛くなるということがあると思います。 言葉を変えれば、農村から都会に出てきたものの、農村と同じように黙々と働くしかないトンツーは、いまだ新しい社会の洗礼を受けていないのに対し、ガオピンと彼女は危険をおかしてでも這い上がろうとしているという意味で、トンツーにとって向こう側の人であるということにもなると思います。しかもトンツーの回想の視点で語られるこの物語には、彼の口調に諦観が漂っている。 ということは決して彼らの世界や運命に対して関与することができないということが初めから明らかにされている。ある意味でただ見つめるしかない彼の眼差しというのが、非常に身近な場所で現実をリアルにとらえるドキュメンタリー的な役割も果たしていると思うのですが。

ワン 非常に細かい部分までこの映画を見てくださっていると思います。あなたがおっしゃられたことは、私がこの映画のストーリーを書いたときに考えたこととほとんど符合しています。トンツーの視点から物語を描いたのは、彼に、都会の社会に入りきれない若者を代表させたいと思ったからです。彼は、いろいろな出来事を目撃したり、遭遇したりしますが、 あまりにおとなしく内気であるためにそれをどうすることもできない。ただ運命に従っていくしかない、そういう人間なのです。それは観客の同情を買うこともできますし、観客にわずかな希望も感じさせます。

 というのも、結局、大それたことができないという彼の誠実な一面が、逆に観客にこの社会にまだ希望が残されていると思わせる。ガオピンやルワンホンはそれなりの方法で、社会に溶け込んでいこうとするわけですが、結果的にはガオピンは、ルアンホンと約束したにもかかわらず、彼女を迎えにくることができず、勝手にひとりで逃げようとして殺されます。 またルワンホンもガオピンについていこうとするわけですが、最終的にはチャンスを逃して失望するわけです。トンツーはそれを見ていて、どうしていいかわからない。そこに諦観や哀しみが漂う、そういうふうに考えて映画を撮ったわけです。人生というのはだいたいこういうもので、与えられた機会をどう生かすべきかということについて、往々にしてそれを逸してしまうものだと思います。そういうものを描きたかったのです。 ===> 2ページへ続く

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