[ストーリー] メイ・チューは娘のハーハーの余命があと2、3年で、救うためには骨髄移植が必要だと知らされる。彼女は前夫のシアオ・ルーに連絡を取り、移植の適合検査を受けるが二人とも一致しなかった。焦ったメイ・チューは人工授精でもう一人子供をもうけ、臍帯血移植で娘を救うしかないと考え、シアオ・ルーに相談する。二人ともそれぞれ新しい夫と妻を持ち、別々の人生を歩んでいたが、娘の命を救うためにそれに同意する。
産児制限のある中国では、メイ・チューが第二子を産むと、シアオ・ルーの妻トン・ファンは子供を持つことが出来ない。そのため、最初彼女はこの人工授精に猛反発するが、結局、ハーハーの命を救うためそれを受け入れる。しかし、人工授精は失敗に終わり――。
『ルアンの歌』(98)、『北京の自転車』(00)のワン・シャオシュアイ監督の2008年作品です。レビューのテキストは準備中です。とりあえず感想を短く。
映画を観ながら最初に思い出したのは、ニック・カサヴェテス監督の『私の中のあなた』(09)でした。11歳の少女アナは、白血病の姉ケイトを救うために生まれてきました。これまで姉のために臓器を提供するドナーの役割を果たしてきたアナでしたが、ある日、裁判所に訴えを起こし、これ以上、姉のために手術を受けることを拒否します。その行動は、必死に長女を救おうとする母親サラとの間に軋轢を生み出しますが、実は――というようなストーリーです。
どちらの映画も、白血病の娘を救うためにはどうしてもドナーとなる兄弟姉妹が必要になるという状況を通して、家族や個人としての責任、権利、自由などが独自の視点から掘り下げられ、複雑な感情が炙り出されます。そして『私の中のあなた』より少し早く作られたこの作品の方が、それぞれの主人公の心に深く分け入り、そこにうごめく感情を非常に細やかに表現しています。
『我らが愛にゆれる時』の原題は“左右”で、この言葉はドラマのなかで様々な意味を持ちます。たとえば映画の導入部です。物語は、不動産会社で働くメイ・チューが、若いカップルの客を物件に案内するところから始まります。彼女は車の助手席から「右へ」「左へ」と指示します。
どこで暮らすかを決めるのは重要な選択といえますが、車から見える高層住宅はどれも似通っています。映画に登場する4人の男女がやがて次々に直面する困難な選択に比べたら、どれも同じといっても過言ではありません。この映画の終盤では、そんな導入部とそっくりな状況が再現されますが、車で部屋に向かう主人公たちは、まさに人生が決定的に変わるような次元に踏み出そうとしているといえます。 |