それはまさに普遍的な成長の物語といえるが、ロージがこの少年を選んだことを不思議に思う人もいるかもしれない。以前はランペドゥーサ島が難民問題の最前線であり、島民と難民が接触していたが、いまではその境界線が海上に移動し、ふたつの世界が切り離されているからだ。ロージは、難民の現実を知る医師ピエトロ・バルトロを唯一の接点として、まったく異なるふたつの世界を描き出していると見ることもできるが、この映画の構造はそれほど単純ではない。
少年の物語と難民の現実は緻密に結びつけられている。たとえば、「陸」と「海」のとらえ方だ。少年は前半では岩崖の上部で遊び、後半で海との関わりを深めていく。これに対して、難民の救助活動については、まず最前線である海上を中心に描いてから陸へと移行していくのが自然な流れといえるが、前半ではむしろ上陸してからの難民の姿が丁寧に映し出され、終盤で海上へと移行していく。
さらに「生」と「死」のとらえ方にも注目する必要がある。上陸した難民の映像では、妊婦の超音波検査や検査所でのサッカーなど、生が際立つのに対して、海上へと移行する終盤では凄惨な死が浮き彫りにされる。少年の物語にも、生と死をめぐる変化がある。前半には少年がパチンコで鳥を狙う場面がある。それが命中していれば鳥は絶命していただろう。しかし、終盤で鳥の巣を見に来た少年は、まるで鳥と対話しているかのように見える。
この映画で、少年と難民が接触することはないが、少年の成長と難民の現実は無関係ではない。左目の弱視が改善されることは、現実に対する彼の視野が広がることを示唆している。少年は、港でボートごと流されそうになったときにしがみついた船が漁船ではないとわかっている。だが、自分を取り巻く世界が急激に広がると、とらえどころがなくなり、どうしていいかわからなくなる。それゆえ不安にとらわれる。この少年を悩ます不安は、移民・難民問題を契機に世界が分断されつつある時代を生きる私たちが抱えている不安でもある。
ロージは、あくまで現実に根ざしながらも、人が秘める物語の力を最大限に引き出してみせる。だからこそ彼は、ヴェネチア、ベルリンと立て続けにドキュメンタリー映画で初の最高賞を受賞するという快挙を成し遂げることができたのだ。
※ここにアップしたのは劇場用パンフレットに寄稿したレビューですが、「ニューズウィーク日本版」の筆者コラム「映画の境界線」でも異なる切り口で本作を取り上げています。その記事をお読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。
● イタリア最南端の島で起きていること | 『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』 |