イタリアの俊英エマヌエーレ・クリアレーゼが監督した『海と大陸』の物語には、現在のイタリアが抱える社会問題が反映されている。
その問題との繋がりで筆者が想起するのは、最近、劇映画デビュー作『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』(11)が公開されたアンドレア・セグレが手がけたドキュメンタリーだ。彼が共同監督した『Como un uomo sulla terra / Like a Man on Earth』(08)では、リビアから地中海を渡ってイタリアにたどり着いた難民たちが苦難の道程を自ら語り、『ある海辺の詩人』のあとに発表された『Mare chiuso / Closed Sea』(12)では、イタリアとリビアの間で結ばれたアフリカ難民をめぐる協定の実態が暴かれる。
『海と大陸』の舞台になるのは、シチリアと北アフリカの中間に位置する離島リノーサ。島民は生き残りを賭けて衰退する漁業から観光業への転換を進めるが、一方ではアフリカから流れ着く難民の増加が波紋を広げている。主人公一家は、海の男である祖父が法を無視して難民の母子を救助し、家に匿ったことから、難しい選択を迫られる。
燦々と降り注ぐ日の光と果てしなく広がる青い海。島を巡る船からカラフルな水着の観光客たちが一斉に海に飛び込む。そしてもう一方では、ぼろをまとった難民たちがすし詰めの小舟から一縷の望みを託して海に飛び込む。それが同じ海だというのは、なんとも皮肉である。
しかしこの映画には、もうひとつの重要な問題が巧妙に埋め込まれている。ジョルジョ・ボッカが『地獄』で書いているように、イタリアにはほとんど交流のなかった二つの歴史があり、現在でも北と南で大きな社会的、経済的な格差がある。マッテオ・ガッローネ監督の『ゴモラ』に描かれるナポリを拠点にした犯罪組織“カモッラ”も、その背景には南北問題がある。
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