2008年にカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得したマッテオ・ガッローネ監督の『ゴモラ』では、イタリア南部ナポリを拠点に絶大な権力を振るう犯罪組織“カモッラ”の世界が描き出される。彼らの支配は麻薬取引や武器密輸からファッションブランドの縫製や産業廃棄物の処理事業にまで及び、組織に従わない者は冷酷に排除されていく。
映画の原作である『死都ゴモラ』の著者ロベルト・サヴィアーノは、自らカモッラに潜入し、その実態を明らかにしてみせた。それだけにこの映画にはドキュメンタリーのようにリアルな空気が漂っているが、魅力はそれだけではない。
最初に確認しておきたいのは、カモッラとはなにかということだ。この名称はマフィアに比べると馴染みがないので、新興の犯罪組織だと思われかねない。しかし、かつてアメリカに渡ったイタリア系移民のことを振り返ってみれば、そうではないことがわかるだろう。
イタリア系の移民は19世紀末から20世紀初頭にかけて急増する。アル・カポネを題材にしたローレンス・バーグリーンの『カポネ 人と時代』によれば、1890年には年平均約5万人、1900年には10万人、1903年には23万人、1907年には28万6千人と爆発的に膨れ上がっていく。彼らは、祖国イタリアのなかで文化的にも経済的にも北部の下位に置かれる南部の貧しいイタリア人と独自の伝統を守りつづけるシチリア人だった。
そんな二種類の移民たちは、異なるかたちでアメリカ社会に食い込んでいく。『カポネ 人と時代』では、その違いが以下のように説明されている。「犯罪組織はナポリ人の生活や商売の際立った特色であり、マフィアのようにシチリア特有の神秘的な響きをもつ同族中心の閉鎖社会形態をとらずに、むしろカモッラという、不正業者、恐喝屋、ポン引き、博徒からなる、はるかに開かれた組織だった」
ちなみに、アメリカ生まれだが、ナポリ人の血を引くアル・カポネは、腐敗した都市シカゴにナポリを見出し、王国を築いた。ということは、私たちはカモッラという名称に馴染みがなくとも、カポネの物語を通してその世界に触れているということにもなる。
そこでひとつ疑問が浮上する。「祖国イタリアのなかで文化的にも経済的にも北部の下位に置かれる南部の貧しいイタリア人」と書いたが、そもそもなぜそんな格差があるのか。その理由は、南北問題という観点から南部の現実を浮き彫りにしたジョルジョ・ボッカの『地獄』やクラウディオ・ファーヴァの『イタリア南部・傷ついた風土』を読めばわかる。
ボッカが『地獄』で書いているように、イタリアにはほとんど交流することのなかった二つの歴史があり、その深い溝が封建制度に縛られた南部を歪めることになった。「南イタリアでは国家は何か外国のように、敵方のように存在してきた」。「何百万という農民が都市に流入しながら、働くべき産業がないまま、国家の助成金で生きるほかなくなり、公的資産の分配の流れにはまりこみ、国家に雇われたという形を取ったり、マフィア的経済に頼る形になったりする」
そんな南部の歴史や現実とカモッラは不可分の関係にある。実際、『地獄』の第4章「不幸なるカンパーニア」には、合法と非合法の境界を消し去っていくカモッラの活動が浮き彫りにされている。映画『ゴモラ』のプレスには、カモッラのことが「18世紀に端を発し、イタリアで最古かつ最大の犯罪組織ともいわれ」と書かれているが、その理由は明らかだろう。つまり、カモッラの実態に迫るということは、イタリアとはなにかを国家の出発点から問うことにもつながる。
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