グレート・ビューティー/追憶のローマ
La grande bellezza / The Great Beauty


2013年/イタリア=フランス/カラー/141分/スコープサイズ/DCP/5.1ch
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(初出:『グレート・ビューティー/追憶のローマ』劇場用パンフレット)

 

 

永遠と喪失の狭間で

 

[ストーリー] ジャーナリストのジェップは俳優、アーティスト、実業家、貴族、モデルなどが集うローマの華やかなセレブ・コミュニティの中でも、その知性やセンスの良さで一目置かれている存在だ。初老に差し掛かった今でも、毎夜、華やかなレセプションやパーティーを渡り歩く日々を過ごしていたが、内心では仲間たちの空虚な乱痴気騒ぎに飽き飽きしているのだった。そんなある日、彼の元に忘れられない初恋の女性の訃報が届く。これをきっかけに、長い間筆を折っていたジェップは作家活動を再開しようと決意するが――。

 スイスにあるホテルを舞台にしたパオロ・ソレンティーノ監督の『愛の果てへの旅』(04)には、ホテルのラウンジで主人公の近くに座っている女性客が彼女の友人に、フランスの作家セリーヌの『夜の果てへの旅』の一節を読んで聞かせる場面があった。『グレート・ビューティー/追憶のローマ』は、同じ小説の冒頭部分の引用から始まる。このセリーヌの言葉はドラマと深く結びついているが、まず注目したいのは旅への言及だ。

 ソレンティーノは、主人公の内なる旅を繰り返し描いてきた。ある事情で8年もホテルに幽閉されている『愛の果てへの旅』の会計士、寝たきりの母親と暮らす『家族の友人』(06)の高利貸し、ダブリンで世捨て人のように暮らす『きっと ここが帰る場所』(11)のロックスター。彼らは人を寄せつけず、まるで固まってしまったかのように単調な日々を過ごしているが、予期せぬ出会いや家族の死をきっかけに心が動き、内なる旅を通して自分が何者なのかを発見していく。ソレンティーノは、そんな旅をシュールな映像と変化に富む音楽で鮮やかに表現してきた。

 『グレート・ビューティー』に登場するジェップの立場はこれまでの主人公たちとは違うが、彼もまた夜毎繰り返されるセレブの饗宴に埋没している男であり、内なる旅を通して失いかけた自己に目覚めることになる。しかもこの映画では、これまでとは比較にならないほど多様な要素が複雑に結びつけられ、奥深い世界に私たちを引き込んでいく。

 その多様な要素の筆頭にあげられるのがローマという舞台だ。ローマは永遠を象徴しているが、同じくローマを舞台にした『イル・ディーヴォ‐魔王と呼ばれた男‐』(08)を振り返ってみれば、それが人の手の届くところにあるものではないことがわかるだろう。この映画の主人公である実在の政治家ジュリオ・アンドレオッティには様々なニックネームが付けられていたが、そのひとつが「永遠」だった。つまり、永遠の都と永遠と呼ばれた男が対置され、後者は失墜することになる。


◆スタッフ◆
 
監督/原案/脚本   パオロ・ソレンティーノ
Paolo Sorrentino
脚本 ウンベルト・コンタレッロ
Umberto Contarello
撮影 ルカ・ビガッツィ
Luca Bigazzi
編集 クリスティアーノ・トラヴァリョーリ
Cristiano Travaglioli
音楽 レーレ・マルキテッリ
Lele Marchitelli
 
◆キャスト◆
 
ジェップ・ガンバルデッラ   トニ・セルヴィッロ
Toni Servillo
ロマーノ カルロ・ヴェルドーネ
Carlo Verdone
ラモーナ サブリナ・フェリッリ
Sabrina Ferilli
レロ・カヴァ カルロ・ブチロッソ
Carlo Buccirosso
ヴィオラ パメラ・ヴィロレージ
Pamela Villoresi
ロレーナ セレナ・グランディ
Serena Grandi
ベルッチ ロベルト・ヘルリツカ
Roberto Herlitzka
アルフィオ・ブラッコ マッシモ・ポポリツィオ
Massimo Popolizio
コンテ・コロンナ フランコ・グラツィオージ
Franco Graziosi
マダム・アルダン ファニー・アルダン
Fanny Ardant
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(配給:RESPECT(レスペ)
×トランスフォーマー)
 

 では、ジェップは永遠とどう向き合うのか。それを明らかにするためには、映画に盛り込まれた他の要素を確認しておく必要がある。まず、永遠とは相容れない現実があげられる。具体的には、毎日セルフポートレートを撮り続ける男のインスタレーションが浮き彫りにする時間であり、ジェップの友人であるヴィオラの息子アンドレアやジェップに癒しをもたらすかに見えたラモーナがたどる運命だ。

 さらに、冒頭のセリーヌの引用にある「すべて見せかけ」という表現を意識したエピソードも見逃せない。それは、水道橋に突進するタリア・コンセプトのパフォーマンスやキリンを消し去るマジックショーであり、ジェップとラモーナが訪れるスパーダ宮の「遠近法の間」やレンタル契約で貴族を演じるコロンナ家の夫妻なども含めることができる。

 ソレンティーノは、そうした要素を緻密に構成し、現実のドラマとは一線を画す浮遊感漂う空間を切り拓き、ジェップの内なる旅を描き出していく。映画の導入部では、永遠の都を見物する観光客の一人に突然の死が訪れたと思ったら、次の瞬間には絶叫とともにジェップの誕生日を祝うパーティーに切り替わっている。そのとき彼はまだ浮かれているが、やがて永遠と喪失の狭間で引き裂かれていく。

 ラモーナと貴族の屋敷を巡るときには永遠に触れるかのようだが、そんな夜の冒険はほとんど間を置くことなくアンドレアの葬儀に参列するための衣装選びの場面に変わり、葬儀に続く。そればかりかラモーナまでもが逝ってしまうが、あえてその死を短く間接的に描き、ジェップの悲しみを想像させる省略の表現も実に効果的だ。それは、初恋の女性エリーザが遺した日記の扱いにも当てはまる。

 しかし、ジェップの内なる旅にはもうひとつ、鍵になる要素がある。それは修道女のイメージだ。ジェップは誕生日パーティーから朝帰りする途中で、見習い修道女たちが散歩中の犬と男のやりとりを見て笑っている光景に出くわす。ところが、そのなかのひとりの少女だけは最初からジェップを見ていたような印象を与える。さらに、ジェップが帰宅し、ベッドに横たわった後には、彼がテラスから修道女と子供たちが戯れる様子を見下ろす映像が挿入される。それは現実のようでも夢のようでもあるが、筆者には無垢に関わる回想を意味しているように思えた。ジェップは、その後のドラマでもラモーナと行くレストランや怪しげな治療師の診療所で、何かのサインのように修道女の姿を目にする。そして最後にシスター・マリアが、運命のように彼の前に現れる。

 いわば少女とシスター・マリアは内なる旅の入口と出口であり、ジェップはその間でエリーザの思い出も含めた過去に立ち返り、これまで求め続けてきたものを見出す。この映画では、人の手の届かないところにある永遠は、フローベールの引用が示唆するように「無」という言葉で表現される。ジェップは、テンピエットで「あなたは誰でもない」という声を耳にするように、無になろうとしてきた。おそらくはそこに美があると信じて。しかし、内なる旅を通して、死に至る生の営みの底に美が埋もれていることに気づく。そして、見せかけやトリックの意味も変わる。それは、嘘や弱さや醜さを隠すためではなく、埋もれた美を掘り出すためにある。だから彼はトリックだと承知しつつ再び小説を書き始めるのだ。


(upload:2015/03/04)
 
 
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