イタリア映画界の異才パオロ・ソレンティーノの映像表現には、誰もが目を奪われるだろう。その作品では、直線と曲線、遠近感、シンメトリーなどが際立つ構図、鮮やかな色彩、静と動のコントラスト、絶妙な音楽センスと切れのある音響効果といった要素が、魅力的な空間を切り拓いていく。
しかし、私たちが彼の世界に引き込まれるのは、単に映像がスタイリッシュで美しいからだけではない。映画の主人公と空間の関係も見逃せない。ソレンティーノが選ぶ題材は、作品によってまったく異なるが、主人公のイメージには共通点がある。
『愛の果てへの旅』(04)の主人公は、スイスのホテルに何年も滞在し、無為に日を送っているように見える。その事情は後半に明らかになるが、彼は見えない牢獄にとらわれているともいえる。実在の大物政治家の半生を描いた『イル・ディーヴォ』(08)では、主人公の身振りや私生活が印象に残る。彼は無表情で、首をすくめて硬直したように歩き、私的な空間は暗い穴倉のように見える。
つまり、主人公は人を寄せつけず、固まってしまったような人物として登場する。そして、ドラマだけではなく、空間との関わりを通して解きほぐされ、内面に光があてられる。
そんな話術は、新作『きっと ここが帰る場所』にも引き継がれている。主人公シャイアンは、絶大な人気を誇ったロックスターだったが、ある時を境にダブリンで隠遁生活を送るようになった。今では追っかけの少女とモールのカフェで過ごし、妻と水のないプールでハイアライというゲームを楽しむという日課をこなす単調な日々が続いている。
まさに人を寄せつけず、固まってしまったような人物だが、そんな彼は、30年も会っていなかった父親の死をきっかけに、収容所を生き延びたユダヤ系の父親が追っていたナチSS隊員を探し求めて、アメリカ横断の旅に出る。
ロックスターとホロコーストという取り合わせは、具体的なドラマだけで描けば陳腐なものになりかねないが、それを補完するのがまさに独自の空間といえる。
ソレンティーノが切り拓くのは、リアルというよりは、一風変わった人物たちが登場するもうひとつのアメリカであり、シャイアンはマジカルな空間における出会いを通して解きほぐされていく。そして、気づいてみれば相容れないと思われたものがしっかりと結びついているのだ。
※筆者ブログの『きっと ここが帰る場所』試写室日記では、この映画に使われている音楽にも詳しく触れていますので、ぜひそちらの記事もお読みください。 |