パオロ・ソレンティーノ作品の主人公は、穴倉に引きこもって、身動きがとれなくなっているような人物であることが少なくない。『愛の果てへの旅』に登場するティッタ・ディ・ジローラモは、まさにそれが当てはまる。
舞台は、スイスのイタリア語圏にある都市ルガーノに建つ小奇麗なホテル。初老の男ジローラモはそこにすでに8年間も暮らしている。だが、自分の意思でそうしているわけではない。その事情は物語の展開とともに明らかになっていく。とにかく彼の部屋には定期的に札束が詰まったトランクが届けられ、彼はそれを銀行まで運び、入金する。
もし半永久的にホテルに幽閉されることになったら、人はどのように時間をつぶすのか。しかも、このジローラモの場合は、他の人間よりも持て余す時間が長い。なぜなら彼は不眠症だからだ。普通であれば、生活に変化をもたらすためにあれこれ知恵を絞るはずだが、彼は、隣室である意味同じような立場にある没落した老夫婦の会話を盗み聞きする以外、これといって特別なことをやらない。
しかし、だらだらしているのとは違う。彼は徹底して規則正しい生活を心がけている。ホテルのバーでは必ず同じ席に座る。週に一回だけ決まった時間にヘロインをやる。定期的に血液を洗浄する。だから中毒にならないのかもしれない。部屋の清掃係や彼に気があるバーのウェイトレスが挨拶しても、常に無視しているが、それはおそらく無愛想な人間であるからではない。生活のパターンを変えることができないのだ。
彼は閉ざされた空間で、同じことを繰り返し、死んだように生きている。彼にはもはや過去も現在も未来もない。この映画では、そうしたことが緻密に描かれている。だからこそ、彼に起こる変化が他の映画にはない際立ち方をする。彼は、金をめぐる深刻なトラブルに巻き込まれること以外に、ふたつのことで心が揺れる。
ひとつは、ホテルに立ち寄った弟から、昔の友だちの近況を知らされることだ。彼は、もう長い間連絡をとっていないにも関わらず、その友だちが無二の存在だと感じる。それは、彼が失ってしまった過去を取り戻しているからだろう。もうひとつは、先述したウェイトレスに心を開くことだ。彼女はまさに未来を象徴している。
ジローラモがもし過去と未来を取り戻すことがなかったら、彼を巻き込むトラブルへの対処法も違ったものになっていただろう。彼は、死んだような繰り返しの生活から、過去と未来の狭間に踏み出し、自らを解き放つのだ。 |