グローバリゼーションの時代の“リアル”を追求するようなオリヴィエ・アサイヤスの『DEMONLOVER デーモンラヴァー』は、ヴィンチェンゾ・ナタリの『カンパニー・マン』やデヴィッド・クローネンバーグの『ビデオドローム』と対比してみると、そのアプローチがより明確になるだろう。
『カンパニー・マン』の主人公は、産業スパイになることで単調な日常から解放され、本来の自己に目覚めたかに見えるが、実は密かに洗脳され、操られている。『DEMONLOVER』は、そんな図式をさらにひねったような物語になっている。
ヒロインのディアーヌが勤めるフランスの大企業「ヴォルフ・グループ」は、ポルノアニメを製作する日本の企業の買収に乗りだすと同時に、アメリカのネット企業「デーモンラヴァー」社と提携しようとしている。ディアーヌは実は、その「デーモンラヴァー」社の競争相手「マンガトロニクス」社が送り込んだ産業スパイだ。彼女は、上司のカレンを失脚させて交渉の実権を握り、提携の妨害を企む。しかし、敵もスパイを送り込んでいて、彼女は、気づかぬうちに操られている。
共通点はそれだけではない。空港とグローバリゼーションの結びつきについては、「グローバリズムを象徴する空間の表と裏の世界」で書いたとおりだが、ナタリは、そんな空港やホテルなど画一的で標準化された空間を意識してドラマの背景に選び、グローバリゼーションのなかで揺らぐアイデンティティを描きだしている。『DEMONLOVER』にも同じ狙いがある。ドラマは、ファーストクラスの機内から始まり、空港、ホテル、オフィスなどの無機的で均質化された空間が強調されていく。
そんな空間はさらにコンピュータ・ネットワークにも広がり、インターネット版『ヴィデオドローム』ともいうべき世界が切り開かれる。ポルノアニメの世界市場をめぐる熾烈な争いのなかで、敵の術中に陥ったディアーヌは、「デーモンラヴァー」社が裏で運営する“ヘルファイア・クラブ”に引き込まれていく。それは、双方向性によってユーザーの暴力的な欲望が現実になる違法なサイトだ。
しかし『DEMONLOVER』には、『カンパニー・マン』や『ヴィデオドローム』とは決定的に違うところがある。この映画は、現代のリアルを描きだすために、ストーリーの飛躍や逸脱を必要としない。だからハイテクな洗脳技術や巨大な地下施設も、喘ぐヴィデオやテレビのなかだけに存在するメディアの教祖も出てこない。 |