『トゥエンティフォー・セブン』の主人公は、希望もなく争いに明け暮れる若者たちのためにボクシング・ジムを作る。この主人公は、若者たちのロールモデルになるかに見える。しかし結局、サッチャー時代を生きる大人がジムという希望を奪い去ってしまう。メドウズにとって最も悲惨な現実とは、大人がロールモデルになれず、子供がロールモデルを見出せない世界なのだ。
新作では、そんな現実が、より複雑な人間関係を通して掘り下げられていくが、そこに話を進める前に振り返っておきたい映画がもう1本ある。ロールモデルという視点から、サッチャー時代を描いているのは、メドウズだけではない。スティーヴン・フリアーズ監督の『マイ・ビューティフル・ランドレット』では、この『THIS IS ENGLAND』に通じる状況が、ショーンとは異なる立場の若者、つまり移民の視点から描かれ、参考になる。
アル中の父親と貧しい生活を送るパキスタン系の若者オマールは、羽振りのいい叔父から赤字のコイン・ランドリーをまかされ、幼なじみの白人ジョニーを誘い、金儲けにのめり込んでいく。サッチャリズムは個人の自助努力を奨励したため、移民にも成功のチャンスがあった。だが、オマールの生き方や心理には歪みがある。彼は、かつてジョニーが移民排斥のデモに加わったことに傷つき、自分が雇い主になったことに優越感を感じてもいる。祖国では優れたジャーナリストだったオマールの父親は、息子の現状を嘆き、彼が大学に戻ることを望んでいる。そうすれば、いまこの国で誰が誰になにをしているかがわかるからだ。
『THIS IS ENGLAND』のショーンは、死んだ父親に代わるロールモデルを求めている。そして、まずスキンヘッズのリーダー格のウディが、次に刑務所から戻ってきた差別主義者のコンボがロールモデルになる。ショーンはコンボに導かれてナショナル・フロントの一員になり、移民排斥に駆り立てられていく。しかし、揺るぎない信念を持っているように見えたコンボは、ショーンの前で、恋愛や家族のことで自分をコントロールできなくなる脆さを曝け出す。彼もまたロールモデルを見出せないまま成長してきた人間だったのだ。 |