イギリスの作家ジョナサン・コーの小説『What a Carve Up!』 には、80年代のサッチャリズムを象徴する人物がいろいろ出てくる。そのなかのひとりであるドロシーは、小さな農場を次々に買い占め、徹底的な合理化と抗生物質や農薬を使いまくることによって、卵や鶏肉、ベーコン、
野菜などの生産コストを削減し、市場を独占していく。小説の主人公であるマイケルの父親は、そのドロシーの会社のインスタント食品ばかりを食べ、ぶくぶくに肥満し、心臓発作を起こす。
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弱冠25歳というシェーン・メドウスが監督したこの「トゥエンティフォー・セブン」を観ながら、筆者はそんなことを思いだした。この映画でまず印象的なのは、目立たないディテールに、この小説に通じる現実が反映されているところだ。
たとえばそれは、卵に雑菌が入っているとか、魚のフライが怪しいといったエピソードである。これは徹底的な合理化、大量生産システムによって、安いが粗悪な食品が出回り、お金がない者はそんなものを毎日食べていることを物語っている。
また映画の冒頭で主人公ダーシーが語る悲惨な住宅事情にもそれが当てはまる。表面的にはきれいに見えるが、内実は悲惨なウサギ小屋なのだ。
主人公は、そんな日常のなかで、希望もなく縄張り争いに明け暮れる若者たちのために、ボクシング・ジムを開く。彼にはサッチャリズム以前の社会にあったコミュニティの人間的な絆の記憶があり、ジムでそれを復活させたいと思う。この映画は、
その主人公と彼のもとに集まった若者たちをめぐるドラマのように見えるが、見逃せないのは、ジムという希望を作るのも、それを壊してしまうのもサッチャリズム以後の時代を生きる大人であることだ。
町の住人には、もはや主人公が作ったジムを支えるだけの活力がなく、主人公はジムのスポンサーとなったビジネスライクで荒っぽい地元のギャングに振り回され、暴行まで受ける。さらに何とか軌道に乗りかけたジムを崩壊に追いやるのも、若者たちの父親のひとりなのだ。
サッチャリズムに打ちのめされ、時代の流れに屈したこの父親は、その不満を子供にぶつけ、ジムという希望を奪い去ってしまう。
モノクロで綴られるこの映画のラストには、もはや取り戻すことができないかつてのイギリスへの惜別の想いと、希望のない現代を生き抜かなければならない監督と同世代の若者への共感が刻み込まれているのだ。