マイク・フィッギス監督の『ストーミー・マンディ』の世界は、サッチャリズムと無関係ではない。サッチャー政権は、対外政策としてアメリカとの経済的、政治的関係を強化し、自国の衰退産業を見放すかわりに、アメリカを中心とした外国資本の流入を促した。この映画の設定や物語には、そんな社会の変化が反映されている。
舞台はイギリス北部の港湾都市ニューカッスルで、4人の登場人物が絡み合っていく。一方には、この街の湾岸再開発で一儲けしようともくろむアメリカ人の大立者コズモと、その地域でただひとり買収に応じない地元のジャズ・スポット、キー・クラブのオーナー、フィニーとの対立がある。そしてもう一方には、コズモに雇われるコール・ガール、ケイトと、キー・クラブで清掃係として働くことになったジャズマンを夢見る若者ブレンダンとのラブストーリーがある。
そして、この4本の糸をジャズのインタープレイのようにドラマティックに絡み合わせていくのが、キー・クラブに出演するためにポーランドからやって来たジャズ・バンドだ。そんな彼らが演奏するのがフリー・ジャズであるところがまた心憎い。
コズモのパーティにピンチヒッターの楽団として登場した彼らは、ジミ・ヘンを想起させるようなアメリカ国家の演奏で、毒とユーモアを振りまく。クライマックスでは、目抜き通りで行われる華々しいパレードに対抗するように、キー・クラブで熱演を繰り広げる。自ら映画の音楽も手がけるフィッギスは、そんなポーランドのジャズを通して、アメリカ資本の圧力になびかない少数派の存在を強調してみせる。
さらに、キー・クラブのオーナーに扮するスティングにも注目すべきだろう。フィニーがクラブのステージでひとりベースを弾く姿が独特のオーラを放っているのは、スティング自身がニューカッスルの出身で、かつてジャズ・ベースをやっていたことがあるからだろう。
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