Retribution  Sakebi
(2006) on IMDb


2006年/日本/カラー/104分/ヴィスタ/ドルビーDTS
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(初出:「キネマ旬報」2007年3月上旬号)

 

 

幽霊は地霊となり、その怒りはどこまでも広がっていく

 

 石川雄一郎が東京湾岸の埋立地の変遷をたどった『さまよえる埋立地』は、こんな文章で始まる。「陸化のすすむ東京の湾岸は、溺れ谷ではなかろうか。埋立てによって海底地盤が隆起し、その上に建てられる高層建造物が都市の尾根筋をのばす。しかし、その地盤は固まっているかに見えて、軟弱さを底にため込んでいる。浚渫された砂・ヘドロ、あるいは腐敗する生ゴミ、腐らない耐久消費財・建設残土などが混在し、地盤は雑駁なまま。これらスキマの多い「混迷土壌」は地中でジワジワと崩れ、静かに沈降しつづける。沈降して液状化がすすめば地震のさいに地が滑り、都市の尾根筋が海に溺れる可能性もある

 黒沢清監督の『叫』は、まさにそんな湾岸地域を舞台としている。急いで埋立てられた裸地には、海水の水たまりが点在する。そこで女が殺害され、連続殺人事件へと発展していく。被害者たちは、顔を海水に押し込まれ、溺死していた。

 埋立地に建つ老朽化した団地に暮らす主人公の刑事・吉岡は、この事件を捜査するうちに、現場に自分の痕跡を見出すと同時に、赤い服を着た見知らぬ女の幽霊に付きまとわれるようになり、混乱を来たしていく。長い付き合いになる恋人の春江は、そんな彼を静かに見守ろうとする。

 この連続殺人事件は、『CURE』を想起させる。だから、われわれの関心は、異なる加害者たちがなぜ同じ手口で殺人を犯すのかということに向かう。第一の殺人では、男が女と激しくもみ合った末に、彼女の頭を水たまりに押し込む。第二の殺人では、医師が手におえなくなった息子を湾岸の工事現場までわざわざ連れ出し、薬物で身体の自由を奪い、海水のたまった容器に顔を押し込む。

 第三の殺人では、社長と不倫関係にある女子社員が、わざわざポリタンクで大量の海水を運び、バスタブに満たし、意識が朦朧としている社長を押し込む。それは、ひとつ間違えば滑稽にも見えかねない。

 やがて、その手口は、幽霊の過去の体験と結びついていることが明らかになる。だがそれは、単純な結びつきではない。注目しなければならないのは、この手口が、幽霊だけではなく、土地とも深い関わりを持っていることだ。

 この湾岸地域では、かつて夢見られた未来は完全に幻影と化している。その土地は、過去と未来の狭間で宙吊りとなり、醜悪な姿を晒している。そんな風景は、人々の内面を象徴してもいる。吉岡は、「このへん全部が、もとの海に戻る、みんな案外それを望んでいるのかもしれない」と語る。

 加害者たちは、「全部をなしにしようと思った」と語る。彼らが、「全部をなしにする」ということは、未来を失った土地を自分たちの都合だけで勝手に海に戻すことを意味する。だから、被害者たちは海水に押し込まれ、溺死しなければならないのだ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   黒沢清
プロデューサー 一瀬隆重
撮影 芦澤明子
照明 市川徳充
美術 安宅紀史
録音 小松将人
編集 高橋信之
音楽 `島邦明
主題歌 中村中
 
◆キャスト◆
 
吉岡登   役所広司
仁村春江 小西真奈美
宮地徹 伊原剛志
赤い服の女 葉月里緒菜
精神科医・高木 オダギリ ジョー
作業船の船員 加瀬亮
若い刑事・桜井 平山広行
矢部美由紀 奥貫薫
佐久間昇一 中村育二
小野田誠二 野村宏伸
-
(配給:ザナドゥー
エイベックス・エンタテインメント
ファントム・フィルム )
 

 では、この手口と幽霊はどのように結びつくのか。幽霊は、全部をなしにしようとする人間を罰するために現れる。この映画の冒頭では、まず殺人が行われ、それに対する怒りが噴出するかのように地震が起こる。そして、幽霊は、地震や地面のわずかな振動とともに現れるようになる。彼女は、過去の出来事に恨みを持つ幽霊であるだけではなく、土地の歴史を守護する地霊でもある。

 この映画では、幽霊を見るのは、過去に彼女と接点があった人間に限られているはずだった。しかし、映画の終盤には、個人の恨みを超えた出来事が起こる。幽霊は明らかに地霊となり、その怒りはどこまでも広がっていく。

 『叫』は、『CURE』や『回路』の世界を継承し、その先に踏み出していく。この映画には、『ドッペルゲンガー』『LOFT ロフト』を経なければ、切り開くことができなかったであろうヴィジョンがある。『ドッペルゲンガー』では、主人公がふたつに分裂する。『LOFT』の冒頭には、新作を書こうとする主人公とそれを拒絶するように泥を吐く彼女というふたりの主人公が存在するように見える。しかもこの映画では、二台のカメラでほとんど同じ位置から同じものを撮り、微妙に異なる映像がランダムに切り替わる。

 そして『叫』にも、ふたりの吉岡がいる。冒頭の殺人と地震による液状化は、実際の出来事であるだけでなく、吉岡の夢=無意識の世界を意味してもいる。このドラマでは、すべてを連続殺人に封じ込めようとする刑事の吉岡と、時代から取り残された団地に暮らし、失われた記憶をたぐり寄せようとする吉岡が、激しくせめぎ合い、最後にひとつになる。彼が抱えるバッグのなかで、ふたつのものがひとつになることは、まさにそれを象徴している。

 『ドッペルゲンガー』の主人公は、ひとつになることによって解放される。『LOFT』の主人公には、深い喪失感が残る。『叫』の主人公は、大変な重荷を背負う。それは、世界の罪というべきなのかもしれない。黒沢清は、未来にこだわり、しばしばそれを崩壊のなかに見てきた。『回路』では、幽霊の存在はひたすら生と死の境界の崩壊に依存していた。だから、主人公たちは、とにかく生き延びるために旅立つ。『叫』の幽霊は、怒れる地霊となる。そして、吉岡は、地霊を受け入れ、罪を償うために旅立つのだ。

《参照/引用文献》
『さまよえる埋立地【江戸TOKYO湾岸風景史】』 石川雄一郎●
(農文協、1991年)

(upload:2007/12/24)
 
 
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