このドラマでは、ひとりの早崎が、自分から分身が生まれたかのように、それを排除しようとするが、そんな彼はやがて、元の早崎にはない性格を露にすることになる。黒沢監督は、分裂から生じる境界を掘り下げることによって、社会のなかで完全に身動きがとれなくなった人間が、生まれ変わる可能性を切り拓こうとするのだ。
『LOFT』の主人公の春名礼子も、編集部長の木島に管理され、半ば強制的に通俗的な恋愛小説を書かされている。この映画の冒頭で彼女は、鏡を見つめている。その鏡を伏せる仕草を見れば、彼女が鏡に映ったいまの自分に強い不満を抱いていることがわかる。そして次の瞬間、彼女の分裂が始まる。
そこには、何とか新作を書こうとする礼子とそれを拒むように泥を吐く礼子が存在しているように見える。黒沢監督が分裂を意識していることは、カメラにもはっきりと表われている。この映画では、ふたつの微妙に異なる映像がランダムに切り替わるのだ。
分裂した礼子は、それぞれにミイラと亜矢に引き寄せられていく。一方では、ミイラがそうしたように、自分を守り通し、執筆を引き延ばそうとする。しかし、木島にプレッシャーをかけられた彼女は、追い詰められ、自分で書くことすら放棄し、亜矢の残した原稿をそのまま盗用する。木島という編集者にとっては、それを誰が書こうが問題ではないだろう。そして、本が出てしまえば、礼子は自分を失う。だが、この映画に盛り込まれたジャンルが、彼女を別な方向へと導く。
吉岡が抱える秘密が次第に明らかになり、礼子と彼が恋に落ちていく展開は、サスペンスやラブストーリーの定石通りだが、映像の次元ではジャンルを逸脱した世界が切り拓かれていく。この映画には二種類の境界があると書いたが、礼子と吉岡は、それぞれに異なる境界と繋がっている。
吉岡は、生と死の境界が崩壊していくことに囚われ、引き裂かれる。つまり彼は、ミイラや亜矢に恐怖を見出す。一方、礼子は最終的に、木島という生身の人間に恐怖を見出す。そして、分裂していた彼女は、ミイラの自己への執着も亜矢の才能も必要ではないことに目覚め、融合を遂げる。
彼女が、亜矢の作品やミイラを葬る焼却炉は、明らかに沼と対置されている。沼の泥の作用とは反対に、炎はすべてを焼き尽くし、その存在を消し去る。彼女はすべてを捨て、ひとつになることによって、新しい礼子に生まれ変わるのだ。 |