LOFT ロフト
Loft


2005年/日本/カラー/115分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:『LOFT ロフト』劇場用パンフレット、若干の加筆)

分裂して生まれ変わり、解放されるヒロイン

 黒沢清監督の新作『LOFT ロフト』には、ホラーやサスペンス、ラブストーリーといったジャンルが意識して盛り込まれ、ストーリーの上ではそれぞれのジャンルの約束事が守られていくように見える。しかし、映像の次元では、ジャンルを逸脱する興味深い変化が次々と起こり、黒沢ワールドを形作っていく。その変化の鍵を握るのは“境界”だ。

 黒沢作品には常に境界をめぐるドラマがあり、その境界の在り方は確実に変化してきている。『カリスマ』では、一本の木と森全体をめぐって人々が対立しているが、その対立に巻き込まれた主人公は、やがてこう語る。「特別な木も、森全体というのもない。平凡な木があちらこちらに生えているだけだ」。『回路』では、インターネットを通して生と死の境界が崩壊することで、生の意味が揺らいでいく。

 ところが、『アカルイミライ』では、そこにあるはずの境界が崩壊していくのではなく、クラゲの増殖によって境界のないところに新たな境界が生まれ、その境界をめぐって異なる世代の関係が描き出される。さらに、『ドッペルゲンガー』でも、主人公がふたつに分裂することによって新たな境界が生まれ、彼が変貌を遂げていく。

 それでは『LOFT』はといえば、この映画には、既成の境界の崩壊と新たな境界の出現の両方がある。ミイラが千年の眠りから目覚めたり、女子大生の亜矢が何度も甦ることは、生と死の境界を崩壊させる。こちらは、黒沢監督が特別な愛着を持つホラーに起因しているといえる。これに対して、新しい境界の方は、わかりにくいかもしれない。一見とてもそうは見えないだろうが、筆者は、前作の『ドッペルゲンガー』が、この『LOFT』における飛躍の重要な布石になっていると思う。

 この2作品の主人公の立場は、実は非常によく似ている。『ドッペルゲンガー』で、人工人体の開発を進める主人公の早崎は、最初は個人的にスランプに陥っているように見える。しかし次第に彼が、プロジェクトを管理しようとする上司や会社に苛立ち、集中できなくなっていることが明らかになる。そして、ドッペルゲンガーが出現する。

この映画で注目しなければならないのは、分裂した早崎が、終盤で再びひとつになっても元の早崎には戻らないということだ。なぜなら、分裂した時点で元の早崎は消滅し、それぞれに彼とは異なるふたりの早崎が生み出されているからだ(このことについては、『ドッペルゲンガー』レビューに詳しく書いた)。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   黒沢清
撮影 芦澤明子
編集 大永昌弘
音楽 ゲイリー芦屋
 
◆キャスト◆
 
春名礼子   中谷美紀
吉岡誠 豊川悦司
木島幸一 西島秀俊
亜矢 安達祐実
野々村めぐみ 鈴木砂羽
村上 加藤晴彦
日野 大杉漣
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(配給:ファントム・フィルム)
 
 

 このドラマでは、ひとりの早崎が、自分から分身が生まれたかのように、それを排除しようとするが、そんな彼はやがて、元の早崎にはない性格を露にすることになる。黒沢監督は、分裂から生じる境界を掘り下げることによって、社会のなかで完全に身動きがとれなくなった人間が、生まれ変わる可能性を切り拓こうとするのだ。

 『LOFT』の主人公の春名礼子も、編集部長の木島に管理され、半ば強制的に通俗的な恋愛小説を書かされている。この映画の冒頭で彼女は、鏡を見つめている。その鏡を伏せる仕草を見れば、彼女が鏡に映ったいまの自分に強い不満を抱いていることがわかる。そして次の瞬間、彼女の分裂が始まる。

 そこには、何とか新作を書こうとする礼子とそれを拒むように泥を吐く礼子が存在しているように見える。黒沢監督が分裂を意識していることは、カメラにもはっきりと表われている。この映画では、ふたつの微妙に異なる映像がランダムに切り替わるのだ。

 分裂した礼子は、それぞれにミイラと亜矢に引き寄せられていく。一方では、ミイラがそうしたように、自分を守り通し、執筆を引き延ばそうとする。しかし、木島にプレッシャーをかけられた彼女は、追い詰められ、自分で書くことすら放棄し、亜矢の残した原稿をそのまま盗用する。木島という編集者にとっては、それを誰が書こうが問題ではないだろう。そして、本が出てしまえば、礼子は自分を失う。だが、この映画に盛り込まれたジャンルが、彼女を別な方向へと導く。

 吉岡が抱える秘密が次第に明らかになり、礼子と彼が恋に落ちていく展開は、サスペンスやラブストーリーの定石通りだが、映像の次元ではジャンルを逸脱した世界が切り拓かれていく。この映画には二種類の境界があると書いたが、礼子と吉岡は、それぞれに異なる境界と繋がっている。

 吉岡は、生と死の境界が崩壊していくことに囚われ、引き裂かれる。つまり彼は、ミイラや亜矢に恐怖を見出す。一方、礼子は最終的に、木島という生身の人間に恐怖を見出す。そして、分裂していた彼女は、ミイラの自己への執着も亜矢の才能も必要ではないことに目覚め、融合を遂げる。

 彼女が、亜矢の作品やミイラを葬る焼却炉は、明らかに沼と対置されている。沼の泥の作用とは反対に、炎はすべてを焼き尽くし、その存在を消し去る。彼女はすべてを捨て、ひとつになることによって、新しい礼子に生まれ変わるのだ。


(upload:2012/06/01)
 
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――『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『アカルイミライ』、『カンパニー・マン』
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