「汚れた下着」「友達の詩」「私の中の「いい女」」というシングルで注目され、黒沢清監督の新作『叫(さけび)』の主題歌も歌っているシンガーソングライター中村中のファーストアルバム。
楽曲、声と歌唱、歌詞のすべてにしっかりと刻み込まれた中村中という存在が、内面に強く訴えかけ、心を揺り動かされる。というよりも、心を掻き乱される。楽曲や歌から想起するのは、同時代のJ-Popよりも、中島みゆきや研ナオコ、ちあきなおみ、美空ひばり、浅川マキなどだが、それは単なるテイストではなく、中村中のなかにある痛み≠通して独自の音楽性になっている。
作家のデイヴィド・B・モリスは、『痛みの文化史』のなかで、「痛みは、恋愛がそうであるように、人間の最も基本的な体験に属しており、私たちのありのままの姿をあきらかにする」と書いている。根源的な痛みが見失われたり、ヴァーチャルな痛みに巧妙に置き換えられていく時代のなかで、中村中は、そんな自己を明確にする痛みを様々なかたちで鋭く掘り下げていく。
そればかりか、この引用を修正する必要にも迫られる。モリスは恋愛と痛みを分けているが、中村中の世界ではそうではない。GIDであることをカムアウトしたことなど考えなくとも、その詞に触れれば、中村中が、恋愛と痛みがほとんど同じものであるところから出発しなければならなかったことがわかるからだ。そして、必死になって恋愛と痛みを引き離そうとすることが、あまりにも深い喪失感や激しい切迫感を生み出しているのだ。
かつて、あえて保守的なカントリーというジャンルを選んだk.d.ラングは、「セクシュアリティは私の一部で、もうこれについて話しても問題はなくなったけど、単なるレズビアンとしては知られたくない。音楽でそういうことを超越したい」と語っていた。中村中にも本人にしかわからない葛藤があるはずだが、このアルバムは、音楽でそれを超越し、スケールの大きなアーティストになっていくことを予感させる。 |