世界中で大ヒットを記録した『ミッドナイト・イン・パリ』でここのところのマンネリから脱却したように見えるウディ・アレン。では、その前に監督した『恋のロンドン狂騒曲』の場合はどうか。いつもながらのアレンとして軽視されそうなラブ・コメディの体裁だが、これが一筋縄ではいかない。
熟年夫婦のアルフィとヘレナに彼らの娘夫婦のサリーとロイ。二組の結婚生活が破綻し、四つの恋へと枝分かれする。アルフィは娘よりも若いコールガールにプロポーズし、ヘレナは占い師に救いを求め、オカルトに傾倒する紳士と意気投合する。サリーは勤務先のギャラリーのオーナーに心を奪われ、一発屋の作家ロイは向かいのアパートに暮らす美女の虜になる。
だが、世の中そんなに甘くない。金の力やバイアグラや盗作で若さや才能があるように見せかけた男たちも、都合のいい予言や成功者の思わせぶりな態度に目が眩んだ女たちも、夢に酔いしれていたことを思い知らされる。
そこで、最近のアレンであれば、登場人物たちがそれぞれに悔い改め、世界が元通りになるのではないかと思う。ところが、恋の幻想は底なしの泥沼に変わる。目が覚めたからといって元に戻れるわけではない。幻想は確実に現実を侵食しているのだ。
この映画は激辛なだけではない。見せかけの世界に振り回され、自己を取り繕っているうちに、人物それぞれの輪郭がぼやけ、気づいてみれば生活感のない希薄な存在になっている。彼らを突き放すアレンの冷酷さは半端ではない。明らかにアレンは、そんなドラマを通して現代人すべての運命を示唆している。
見逃せないのは、映画の冒頭と最後にシェイクスピアの『マクベス』から、「白痴が語る物語で、響きと怒りはすさまじいが、意味はなにもない」という台詞が引用されていることだ。確かに最後にはそんな空虚感が漂う。この世界を見限ったかのようなアレンの潔さは痛快ですらある。 |