ウディ・アレンが『マッチポイント』(05)や『タロットカード殺人事件』(06)の舞台に選んだロンドンは、彼にマンネリを打ち破るほどの刺激やインスピレーションをもたらしはしなかった。しかし、『それでも恋するバルセロナ』のバルセロナ(やオビエド)は、アレンにロンドン以上の作用を及ぼしている。
この恋愛映画の設定やドラマからは、様々な境界が浮かび上がってくる。ヴィッキーとクリスティーナは、アメリカからバルセロナにやってくる。彼女たちの日常とバカンスの間には境界がある。
フアンは英語も話すが、彼の父親はスペイン語しか話せないので、ヴィッキーにはこの親子の会話がわからない。フアンの元妻のマリアは、彼がいくら英語で話せといってもスペイン語を使う。そんな言葉の壁に加えて、フアンとマリアを結ぶ芸術の世界も境界になる。
フアンが操縦する飛行機の何とも怪しい飛び方も、バルセロナとオビエドの間に単なる距離以上の境界を意識させる。さらに、物語を簡略化しようとするナレーションと映像のギャップも境界に加えることができるだろう。
そうした境界は、ドラマの展開とともに複雑に絡み合い、皮肉や混乱を生み出していく。ヴィッキーの婚約者のダグは、彼女のバカンスの喜びをさらに大きなものにするためにバルセロナにやって来る。だが、オビエドで熱い夜を過ごした彼女にとって、バルセロナは日常と化していく。 |