ウディ・アレンの作品は、『おいしい生活』あたりから新鮮味が感じられなくなった。それ以前、特に『地球は女で回ってる』までは、作家性が徹底的に突き詰められ、一体アレンはどこまで行ってしまうのかと思っていただけに、最近の作品にはどうしても落差を感じてしまう。だからアレンは低迷していると勝手に決め付けていたが、もしかするとそれは少し違うのかもしれない。
新作『タロットカード殺人事件』の導入部から見えてくる人物の配置は、なかなか巧妙である。これまでスクープを連発し、3日前に急死した新聞記者とアレン自身が扮する冴えないマジシャン。新聞記者は、隠されているものを暴き出し、マジシャンは、タネを隠して、人々の目を欺く。
彼らは、これから描かれる物語の構造を示唆している。実際、ジャーナリスト志望のサンドラと貴族のピーターの間では、殺人事件をめぐってそういう駆け引きが繰り広げられる。
しかし、サンドラは、ピーターの存在を知る以前に、すでに同じ駆け引きを演じている。ある映画監督のインタビューに挑戦して、見事に丸め込まれ、彼とベッドインしてしまうのだ。そんなエピソードも盛り込まれたこの導入部には、こちらの予想を覆すためのお膳立てが整えられている。
以前のアレン作品であれば、物語の構造が提示されてから、現実と虚構の間に模倣や転倒が起こり、その境界が曖昧になり、世界がどこまでも揺らいでいったことだろう。
しかし、いまはそれをやらない。こんな導入部を作るくらいだから、やろうと思えばできないことはないはずだ。アレンがどんな心境なのかは定かではないが、この映画を観ていると、意識してそういうスタンスをとっているように思えてくるのだ。
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