ジョン・セイルズという人は、写真を見るととても立派な耳をしているが、その耳はすごい能力を備えているのではないかと思う。これは必ずしも聴覚が優れているという意味ではない。セイルズの魅力は、常に“耳をかたむける”というイメージと深く結びついているということだ。
たとえば、『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』の最初のシーンを思い出してもらいたい。かつて移民たちの窓口であったエリス島に不時着したエイリアン。彼が、今ではがらんとした移民局の壁にてのひらをつけると、突然、叫び声や泣き声が頭のなかに入り込んでくる。彼は、壁に染み込んだ移民たちの声を聞く能力を備えているのだ。
セイルズが映画や小説を通してひとつの世界を構築していく作業というのは、あのエイリアンが、かたまりとなって頭のなかに飛び込んでくる声を、ひとりひとりの声として聞き分けるようなものなのではないか。
セイルズは、この『希望の街』に先立つ2本の監督作品で過去の事件を題材にしている。アメリカの歴史に埋もれた1920年のメイトワン虐殺事件を描いた『メイトワン』と1919年のブラック・ソックス事件を描いた『エイトメン・アウト』だ。この2本の作品で、結果としての事件は、セイルズの耳によって個々の声が聞き分けられ、それぞれの価値観を代表する個人の思惑が複雑に絡み合った出来事として現代に再現される。
過去の声に耳をかたむけるこの2本の作品によって、セイルズのスタイルは以前よりもいっそう明確になった。彼は、様々な価値観を代表する人々を結びつけて、世界を構築していく。そして、利害をめぐる集団と個人のせめぎ合いからドラマが生まれ、事件が起こり、もうひとつのアメリカが浮かび上がってくる。セイルズは、それぞれの立場に耳をかたむけてキャラクターを練り上げるのと同時に、驚くほど冷静な眼差しで世界全体を見渡している。
そんなセイルズは、以前から書きためてきたものすごい長編小説『Los Gusanos』を90年に発表している。そこでは、現代のマイアミを舞台に、アメリカとキューバをめぐってそれぞれの思いを胸に秘めた在米キューバ人たちの姿が描かれる。この小説は、キューバ革命から現代にいたる在米キューバ人たちの声に耳をかたむけて作り上げられた物語といってよいだろう。
筆者はそんな長編を読みながら、アメリカの埋もれた歴史を掘り下げてきたセイルズが、その作業に一区切りをつけ、現代に目を向け、いまこの世の中に溢れている声を拾い上げようとしているように感じた。『希望の街』は、そんな方向性が鮮明になる作品といえる。
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