イリュージョン
La femme du Veme / The Woman in the Fifth


2011年/フランス=ポーランド=イギリス/カラー/83分/ヴィスタ
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(初出:)

 

 

人間であることと作家であることの狭間
あるいは、エグザイル(亡命者)の孤独

 

[ストーリー] アメリカ人の作家トムは、別れた妻と娘に会うためパリにやってくる。だが、アパートを訪ねたものの、妻からは拒絶され、警察まで呼ばれてしまう。トムはアパートの前で、警察が駆けつける前に、学校から戻ってきた娘と言葉を交わし、仕方なくそこから逃げ出す。バスに飛び乗った彼は、そのまま寝込んでしまい、気づいてみれば荷物も財布も盗まれている。バスがたどり着いたのは移民が多く暮らす地域で、彼はカフェ兼安ホテルのオーナーに相談し、部屋を借りることに。

 トムは生活費をなんとかするために、オーナーから紹介された怪しげな警備員の仕事を引き受ける。ある日、書店に立ち寄った彼は、この作家の顔を知っていた店主から言葉をかけられ、文人が集まるパーティに招待される。そこで作家の妻だった女性マーギットに出会った彼は、彼女のアパートで心が安らぐひと時を過ごすようになる。だがやがて、彼の周りで奇妙な出来事や事件が起こりだし、彼も警察に連行されてしまう。

 ポーランド出身のパヴェウ・パヴリコフスキ監督、イーサン・ホーク、クリスティン・スコット・トーマス共演の『イリュージョン』は、賛否がはっきりと分かれる作品だ。おそらく不満を覚える人の方が圧倒的に多いだろう。主人公トムの周りで奇妙な出来事や事件が次々と起こるのに、謎がなにも解き明かされないまま映画が終わってしまうからだ。

 原作は、ダグラス・ケネディの『The Woman in the Fifth』。ケネディの小説については、最近はご無沙汰だが、初期の頃はよく読んでいた。

 たとえば、『The Dead Heart』(94)。あまりやる気のないアメリカ人の新聞記者ニックが、オーストラリア北部のダーウィンから不毛の土地を南下し、ヒッチハイクの娘アンジーと仲良くなる。だが、旅の途中でニックが朦朧とした状態から目覚めてみると、彼は見知らぬ町にいる。実はアンジーにクスリを打たれて町まで運ばれ、すでに彼女との結婚式まですませたという。その町は、かつて鉱山の閉山とともに無人になり、地図から削除されたが、その後で離散した家族、親戚が舞い戻り、カンガルーの肉を売りさばくルートを基盤として秘密の楽園を築いていた。そこから一番近い町までは車で16時間もかかり、脱出するのは不可能に近い。

 それから『The Big Picture/ビッグ・ピクチャー』(97/98)。ウォール街の法律事務所に勤め、妻子と郊外で豊かな生活を送るように見える主人公ベンは、かつて憧れた写真家になる夢を捨てきれずにいる。ある日、妻が近所に住む自称写真家ゲイリーと不倫していることを知った彼は、男の家に乗り込み、彼を殺してしまう。窮地に立たされたベンは、悩んだあげくある計画を思いつく。ゲイリーの死体をヨットごと爆破して自分が自殺したように見せかけ、ゲイリーとなって旅立つということだ。放浪の果てに彼は写真を撮りはじめ、やがて大きな成功を手にすると同時に、危険な立場へと追い込まれていく。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   パヴェウ・パヴリコフスキ
Pawel Pawlikowski
原作 ダグラス・ケネディ
Douglas Kennedy
撮影 リシャルト・レンチェフスキ
Ryszard Lenczewski
編集 デヴィッド・チャラップ
David Charap
音楽 マックス・デ・ヴァルデナー
Max de Wardener
 
◆キャスト◆
 
トム   イーサン・ホーク
Ethan Hawke
マーギット クリスティン・スコット・トーマス
Kristin Scott Thomas
Ania ヨアンナ・クーリク
Joanna Kulig
Sezer サミール・ゲスミ
Samir Guesmi
Nathalie デルフィーヌ・シュイヨー
Delphine Chuillot
Chloe ジュリー・パピヨン
Julie Papillon
Laurent ジェフリー・キャリー
Geoffrey Carey
Omar ママドゥ・ミンテ
Mamadou Minte
Moussa モアメド・アルージ
Mohamed Aroussi
-
(配給:)
 

 ケネディは、主人公の人生の崩壊や分岐点を、シュールで皮肉なシチュエーションを通して描き出す。『The Woman in the Fifth』は2007年の作品だが、そうした感性はいまも変わらず、確実に引き継がれているようだ。但し、筆者が読んだ初期の作品では、明確な結末が準備されていたが、この小説の場合はどうなのか。少し調べてみたところでは、映画と同じように小説にも謎解きはないようだ。

 この映画を楽しむためには、パヴリコフスキ監督がそれを承知で映画化したこと、途中で収拾がつかなくなってこのような作品になったのではないことを頭に入れておくべきだろう。

 映画では、かつてトムと妻子の間になにがあったのかは描かれない。だが、トムと対面した妻の怯え様から見て、よほどのことがあったことは想像できる。また、トムが目にしているものがすべて現実ではなく、幻想にとらわれているように見える。

 トムは妄想型の統合失調症を患っていると解釈することもできる。そういう意味では、このドラマは、ジェフ・ニコルズ監督の『テイク・シェルター』に通じるものがある。主人公である土木技師カーティスのなかでは、統合失調症という精神障害の疑いが膨らんでいく一方で、妻子を守るために一刻も早く手を打たなければという思いが強くなっていく。トムの場合も、幻想に引き込まれるほどに、愛娘を守るという思いがさらに強くなり、事態を悪化させていく。

 また、精神障害ではなく、作家であるトムの二面性を描き出す映画と解釈することもできる。彼は明らかに過去に起こったことを後悔し、なんとかもう一度やり直したいと思っている。そこには、人間としての罪悪感と愛情を見ることができる。しかし同時に彼は作家でもある。デビュー作『森の生活(Forest Life)』では成功を収めたが、おそらくは過去の出来事のせいでいまではその地位を失いかけている。そんな彼が娘へのメッセージとして綴る手紙には、現実に縛られない作家としてのイマジネーションが膨らんでいく。トムは、人間と作家の間で引き裂かれていくともいえる。

 そして、もうひとつ見逃せないのが、エグザイル(亡命者)への眼差しだろう。妻子から拒絶され、荷物や財布も失い、移民が暮らす地区の安ホテルに落ち着く彼は、亡命者に近い。そんな彼に親切にするカフェのウェイトレスもポーランドからやって来た女性であり、ふたりは現実と幻想、複数の言葉の狭間で肌を寄せ合う。そうした表現には、14歳で共産主義体制のポーランドを離れ、亡命者的な人生を送ってきたたパヴリコフスキの感性を垣間見ることができるだろう。


(upload:2014/07/02)
 
 
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