それがイニシエーションの出発点になるわけだが、ルーカスがどう変貌を遂げるのかを見ていく前に、現代におけるイニシエーションについて確認しておきたい。
心理学者の河合隼雄は以下のように書いている。「近代社会においては、イニシエーションの儀式を喪失してしまったので、集団として、決められた日に子どもが成人になるということができぬため、個々の人間がそれぞれイニシエーションを体験しなくてはならない。ところが、それが作用しない一群の人々がいるのである」。さらに、哲学者/宗教学者の鎌田東二は、同様のことを以下のように表現している。「子どもが大人になるということ、そして一個の人格が理想的な形態に向上・成長し、変身・変容していくことについて、戦後社会は完全にモデルと方法を喪失し、“イニシエーションなき社会”になってしまったのだ」
もしタイで休暇を過ごすこの一家に何事も起こらなければ、おそらくルーカスはそんなイニシエーションなき社会を生きていくことになっていただろう。しかしだからといって、災害に巻き込まれ、危機的な状況を乗り越えれば大人になるというものでもない。
そういう意味で、この映画と対比してみたくなるのが、ほとんど無名のベン・ザイトリンが監督し、アカデミー賞で主要4部門にノミネートされて話題になった『ハッシュパピー バスタブ島の少女』だ。
この作品はファンタジーのように見えながら、実際にそんな伝承があるのではないかと思われるイニシエーションの世界が埋め込まれている。ヒロインの少女が暮らす低地がハリケーンで水没しかけ、しかも唯一の家族である父親が重病で死にかけていると知ったとき、少女は不在の母親がいると信じる場所に向かって海を泳いでいく。そして現実とは隔てられた不思議な場所で、象徴的な死者との交感を通して強靭な生命力を獲得し、現実の世界に戻ってくる。
かつて存在したイニシエーションでは、現実と隔てられ、死や死者と身近に接するような他界が重要になる。そんな空間をくぐり抜け、子供は大人になるのだ。
『インポッシブル』で津波が去ったあとの世界は、ルーカスにとってこの他界に近い。子供に戻った彼は、母親が収容された病院で、別れ別れになった家族を結びつけることで新たな次元に踏み出す。さらに、母親が衰弱し、ベッドから姿を消してしまったときには、一人で生と死の世界と向き合い、行動することを余儀なくされる。母親に二度と一人にしないでと懇願した子供は、そんなふうにして自立を遂げていく。そして、途中ではぐれてしまったダニエルの無事を確認することが、他界での経験を決定的なものにする。エピローグとなる飛行機の機内で、現実の世界に回帰し、母親に大切なことを伝えるルーカスは、これまでとは違う大人の顔をしているといっていいだろう。
この映画をより普遍的で奥深いものにしているのは、そんなイニシエーションなき時代のイニシエーションなのだ。 |