戸田幸宏監督の長編劇映画デビュー作『暗闇から手をのばせ』のヒロインは、障害者専門の派遣型風俗店“ハニーリップ”で働くことになった沙織だ。これまでの風俗とは勝手が違う世界に飛び込んだ彼女は、出勤初日から手探りを余儀なくされる。
最初の客、彫り物を入れた進行性筋ジストロフィー患者の水谷は、平均寿命が30歳なのでいつまで生きられるのかわからないと語る。二番目の常連客、先天性多発性関節拘縮症の中嶋は、障害をネタにした巧みな話術で本番を求めてくる。
そして、その日の最後の客は、バイク事故で脊髄を損傷して不能になった若者、健司。だが、沙織を呼んだのは本人ではなく、彼の母親だった。母親は若い女性から刺激を受ければ息子の生殖機能が回復すると思い込み、勝手に段取りをつけていた。当然、健司は沙織を拒む。
“ハニーリップ”の店長、津田は、全国には348万人の在宅身体障害者がいて、目の前に広がるこの町にも1万人が息を潜めて暮らしていると語る。この映画は、「性」を通してそんな不可視の存在を可視化するだけでも意味を持つ。しかし、ストーリーを追っていくうちに、それだけの映画ではないことがわかってくるはずだ。
結論からいえば、これは、イニシエーション(=通過儀礼)なき時代のイニシエーションを描く映画といえる。そこで、もう明らかなことかもしれないが、ふたつの引用によって現代におけるイニシエーションの位置というものを確認しておきたい。
「制度としてのイニシエーションは、近代社会において消滅した。(中略)言うなれば、各人はそれぞれのイニシエーションを自前で自作自演しなくてはならなくなった」(河合隼雄総編集『心理療法とイニシエーション』)
「子どもが大人になるということ、そして一個の人格が理想的な形態に向上・成長し、変身・変容していくことについて、戦後社会は完全にモデルと方法を喪失し、"イニシエーションなき社会"になってしまったのだ」(鎌田東二『呪殺・魔境論』)
それらを踏まえて筆者が注目したいのは、沙織とストーカーをめぐるエピソードだ。沙織は以前からつきまとっていたストーカーの策略にはまり、ラブホテルの浴室に監禁されてしまう。 |