サマリア
Samaria  Samaria
(2004) on IMDb


2004年/韓国/カラー/95分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
line
(初出:「CDジャーナル」2005年3月号、「夢見る日々に目覚めの映画を」41より抜粋、若干の加筆)

 

 

イニシエーションなき時代のイニシエーション

 

 ベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝いたキム・ギドク監督の新作『サマリア』と、オウム真理教事件を題材に、カルトの子のその後を描く塩田明彦監督の『カナリア』が同時期に公開されるのは、筆者には興味深いことのように思える。どちらの作品からも現代社会とイニシエーション(通過儀礼)の関係が掘り下げられているからだ。

 現代はイニシエーションが失われた時代といえる。河合隼雄総編集の『心理療法とイニシエーション』には、以下のような記述がある。「制度としてのイニシエーションは、近代社会において消滅した。(中略)言うなれば、各人はそれぞれのイニシエーションを自前で自作自演しなくてはならなくなった

 さらに、鎌田東二の『呪殺・魔境論』では、同じことが以下のように表現されている。「子どもが大人になるということ、そして一個の人格が理想的な形態に向上・成長し、変身・変容していくことについて、戦後社会は完全にモデルと方法を喪失し、"イニシエーションなき社会"になってしまったのだ

 そんな現代社会のなかで、オウムはイニシエーションを強調することによって拡大した。『カナリア』では、主人公の少年と少女を通して、本質はどうあれイニシエーションを重視した教団とそれを失った社会が対置され、彼らはふたつの世界のせめぎ合いのなかで答を見出していく。

 これに対して、それぞれに「バスミルダ」「サマリア」「ソナタ」と題された三部で構成されるキム・ギドクの『サマリア』は、イニシエーションなき時代の現実から始まり、登場人物たちをめぐる悲劇や苦悩の連鎖がイニシエーションへと結実していく作品といえる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   キム・ギドク
Kim Ki-duk
撮影 ソン・サンジェ
Seon Sang-jae
編集 キム・ギドク
Kim Ki-duk
音楽 パク・チウン
Park Ji-woong
 
◆キャスト◆
 
ヨジン   クァク・チミン
Kwak Ji-min
チェヨン ハン・ヨルム
Han Yeo-reum
ヨンギ(ヨジンの父) イ・オル
Lee Eol
セールスマン クォン・ヒョンミン
Kwon Hyun-min
ミュージシャン オ・ヨン
Oh Young
-
(配給:東芝エンタテインメント)
 

 第一部に描かれるのは、二人の少女の援助交際だ。奔放なチェヨンが客をとり、奥手のヨジンが嫌悪感を覚えながらも見張り役を務める。だがある日、警官にホテルに踏み込まれたチェヨンは、窓から飛び降り、笑顔のまま死んでしまう。

 第二部では、ヨジンが罪滅ぼしのために、これまでの客を同じホテルに呼び出し、行為の後で金を返していくが、彼女の父親が偶然それを目撃してしまう。刑事である彼は男たちへの制裁を始め、殺人に至る。そして三部では、父親が娘を母親の墓参りに誘い、自然のなかで答を導き出していく。

 ギドクらしいのは、台詞に頼ることなく、身体の動き、その連鎖のなかで、人間が変わっていくところだ。父親は石で男を殺すが、墓参りの道中では、石で車が進めなくなる。その石を取り払うのは娘だが、彼女の行動は自分で決めた罪滅ぼしがあってこそのように思える。

 そして今度は父親が、石を使って、死の予感に怯える娘がひとりで歩いていくための道標を作る。身近な死をくぐり抜けて、この世に再生を果たす。その道標はヨジンのイニシエーションを象徴している。

《参照/引用文献》
『講座心理療法第1巻 心理療法とイニシエーション』●
河合隼雄総編集(岩波書店、2000年)
『呪殺・魔境論』●
鎌田東二(集英社、2004年)

(upload:2013/05/11)
 
《関連リンク》
塩田明彦 『カナリア』 レビュー ■
『魚と寝る女』 レビュー ■
『春夏秋冬そして春』 レビュー ■
『うつせみ』 レビュー ■
『嘆きのピエタ』 レビュー ■

 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp