韓国の鬼才キム・ギドク監督の新作『春夏秋冬そして春』では、深山の湖に浮かぶ小さな寺を舞台に、住職と暮らすひとりの人間の人生が、“四季”を通して描きだされる。
春、魚や蛙に小石を結びつける無邪気な悪戯をした幼子は、生き物の命を奪うことで業を背負う。夏、17歳になった彼は、養生のために寺に寝泊りすることになった少女と恋に落ち、寺を去った彼女の後を追うように出奔する。
秋、自分を裏切った妻を殺害してしまった男は、十数年ぶりに寺の門を叩き、そこで自殺を図ろうとする。冬、刑務所を出所した彼は、荒れ果てた寺を訪れ、往生した住職の遺骨を拾い、無の境地へと近づいていく。
この映画でまず驚かされるのは、湖に浮かぶ釣り人用の小屋や妻を殺害して自殺を図る男、水と欲望の結びつき、人と魚をめぐる見立てといった、『魚と寝る女』のモチーフが、様々なかたちで使われているにもかかわらず、まったく異なる世界が切り拓かれていくことだ。
『魚と寝る女』や『悪い男』では、男女が身分や立場の違いから生じる軋轢を乗り越えようとすることから、現実のなかに異空間が切り拓かれる。彼らは、ふたりだけの世界を生きるために、限定された空間から外部へとさまよいだす。
ところがこの映画では、呪縛からの解放につながるような外部を示唆する空間を切り拓こうとはしない。四季を象徴的に描くことによって、そこにある空間を変えていくのだ。
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