韓国では決して珍しいことではないが、キム・ギドク監督は、クリスチャンであり、彼の作品では、贖罪や浄化が独自の世界のなかに描き出される。たとえば、『悪い女〜青い門〜』(98)、『魚と寝る女』(00)、『悪い男』(01)を比較してみれば、そんな彼の視点や表現が明確になるだろう。
美術学校に通い、体を売って生活するジナと性的抑圧に囚われた売春宿の娘ヘミ(『悪い女〜青い門〜』)、釣り場の管理人で、客に体を売るヒジンと、恋人を殺し、自殺するために釣り場を訪れたヒョンシク(『魚と寝る女』)、女子大生のソナとヤクザのハンギ(『悪い男』)。
三作品にはそれぞれに、性や階層をめぐって相容れない価値観を持つ人物が登場し、激しくせめぎあうが、贖罪や浄化を経て、最後に同じ場所に立つ。ドラマの基本的な流れは同じだが、その表現には大きな変化がある。
わかりやすいのは、『魚と寝る女』で、ヒョンシクが釣り針の束を飲み込んだり、『悪い男』のハンギがソナを罠にはめて娼婦にするように、人物の行動がより過激になっていくことだが、違いはそれだけではない。
ヒジンやハンギは、ほとんど口をきかない。つまり、台詞が大幅に削られていく。それは、ドラマの中心となる閉ざされた空間の表現とも密接に結びついている。『悪い女〜青い門〜』の盗聴による繋がりが、『魚と寝る女』では、水中からヒョンソクを見つめるヒジンの眼差しに、『悪い男』では、マジックミラーを通してソナを見つめるソンギの眼差しに発展し、そんな台詞を必要としない状況が、人物の内面をより深く掘り下げていくことになるのだ。
『悪い女〜青い門〜』では、ジナが周囲から虐げられるほど聖性を帯び、贖罪や浄化に至るドラマの軸となっていく。しかし、『魚と寝る女』や『悪い男』には、そんな明確な軸はない。水やマジックミラーを通して相手を見つめるヒジンやソンギは、最初は支配的な立場にあるが、次第に葛藤が生まれ、相手の内面に引き込まれていく。
ヒジンは、ヒョンソクと同じように欲望や嫉妬ゆえに殺人者となり、ソンギは、海に見を投じた娘に自分を重ねるソナと同じように、死刑囚となる道を選択する。彼らはそれぞれに贖罪や浄化を求めて死と向き合い、それが交差するときに救いが訪れ、彼らだけの場所=異空間が切り開かれるのだ。
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