「確かに一方で私の音楽は非常に活気の漲るものになりますが、それは少なくとも私のパーソナリティを直接に表現しているわけではありません。私はそれほど精力的な人間ではありませんから。これは、音楽的な本能からきているとしかいいようがないですね。また一方で、私の音楽の流れには、際立ったリリシズムや穏やかさがありますが、私という人間自体は、もっと荒々しいと思います」
この発言でとても面白かったのは、ナイマンが、音楽評論家として活動し、著書もある理論派であるだけに、その音楽も、明確な論理のもとに周到に計算して作っていると思われるところが、豊富な知識やアイデアといったものが、最終的には、音楽的な本能に委ねられているということだ。あるいは、この言葉にならない部分というのが、ナイマンの最も魅力的なところということになるのかもしれない。
ナイマンとグリーナウェイの長年にわたるコラボレーションは、『プロスペローの本』でとりあえず終止符が打たれ、ふたりは、現在はそれぞれの道を歩みつつあるようだ。そしてナイマンは、このコラボレーションにひとつの区切りをつけるかのように、『ジ・エッセンシャル・マイケル・ナイマン・バンド』という作品を発表している。
これは、ナイマンとグリーナウェイが手を組んだ『英国式庭園殺人事件』から『プロスペローの本』までの5本の作品から厳選した曲に、さらに、実験映画時代の『ウォーター・ダンス』からの曲を加え、新たに録音した作品集で、グリーナウェイの映画音楽が、単なるサントラではなく、ナイマン・ミュージックであると主張してきた彼が、サントラという枠組みも取り払い、そのエッセンスを結晶させる試みといっていいだろう。
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