The Glare / David McAlmont & Michael Nyman
The Glare / David McAlmont & Michael Nyman (2009)


 
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(初出:web-magazine「e-days」2009年12月22日更新、若干の加筆)

 

 

混迷する世界が集約された現代の“メデューズ号の筏”

 

 マイケル・ナイマンが立ち上げたレーベルMN Recordsのラインナップは、サントラのコンポーザーズ・カットやブラス・バンド、オペラ、歌曲集、モーツァルトの楽曲や16世紀イタリアの作家ピエトロ・アレティーノの詩にインスパイアされた作品集など多岐に渡る。ナイマンとデイヴィッド・マッカルモントのコラボレーションになる新作『The Glare』は、そのなかでも異彩を放っている。

 楽曲そのものはナイマンの既成の作品だが、その楽曲からまったく違う世界が切り開かれている。それはもちろんマッカルモントの変幻自在な歌声によるところも大きいが、決してそれだけではない。彼は詞も手がけているが、そのアプローチが実にユニークなのだ。

 マッカルモントとナイマンのブログ“McAlmont & Nyman: The Glare Dossier”によれば、マッカルモントにインスピレーションをもたらしたのは、19世紀前半に活動したフランスの画家テオドール・ジェリコーの代表作『メデューズ号の筏』だという。この絵には、同時代に起こった事件が描かれている。

 セネガルを目指してフランスを出向したフリゲート艦メデューズ号が、その途中で嵐にあって座礁し、救命ボートに乗り込めなかった149人が急造の筏に乗込んだ。だが、その筏は救命ボートから切り離されてしまい、洋上を彷徨いつづけ、他の船に発見されたときには、生存者はわずか15人だった。ジェリコーはこの事件に衝撃を受け、事件の内実を詳細に調べ、『メデューズ号の筏』を描いた。

 そこでマッカルモントは、同時代に起こった様々な事件に注目し、実話にインスパイアされ、現代という時代と個人の心情や心理が多面的に見えてくる詞を書きあげた。

 そのなかには私たちの多くが知っている事件もある。5曲目の<In Rai Don Giovanni>では、イタリアのベルルスコーニ首相の妻であるベロニカ夫人の視点から、夫の姿が描き出されていく。ナイマンの楽曲のモチーフであるドン・ジョヴァンニとベルルスコーニがダブるところも面白い。コラボレーションのラストナンバーである11曲目の<The Glare>では、イギリスの人気オーディション番組で驚異的な歌唱力を披露し、世界の注目を浴びたスーザン・ボイルの視点から、メディアのなかの孤独が描かれる。

 その他の題材は、おそらく日本ではあまり知られていないと思われる。マッカルモントが取り上げた事件は、大きくふたつに分けられる。ひとつは、現代社会のなかで人々が持つ二面性と関わっている。


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◆Jacket◆
McAlmont&Nyman
 
◆Track listing◆

01.   Take the Money and Run
02. Secrets, Accusations and Charges
03. City of Turin
04. Friendly Fire
05. In Rai Don Giovanni
06. In Laos
07. Going to America
08. Fever Stick and Bones
09. A Great in Kathmandu
10. Underneath the Hessian Bags
11. The Glare
12. Songs for Tony

◆Personnel◆

David McAlmont - vocals; , Michael Nyman - direction; Ian Humphries & Morven Bryce, violin; Catherine Musker - alto; Anthony Hinnigan - violin, celle; Martin Elliott - bass guitar; David Roach - soprano, alto sax; Rob Buckland -soprano ,alto sax; Andrew Findon - baritone sax, flute, alto flute; Steve Sidwell - trumpet; Dave Lee - horn; Nigel Barr - bass trombone, euphonium; Michael Nyman - piano

(MN Records)
 

 1曲目の<Take The Money And Run>は、ニュージーランドで起こった事件が題材になっている。ガソリンスタンドを営む男の口座に銀行から誤って1000万ニュージーランドドルが振り込まれ、男とオーストラリア人のガールフレンドはその一部を引き出して、海外に高飛びした。2曲目の<Secrets Accusations and Charges>は、成功した実業家と強盗の一味というふたつの顔を持つ女性が、4曲目の<Friendly Fire>は、自分を殺すように依頼して殺害された不動産ブローカーの事件が題材になっている。

 もうひとつの題材は、先進国と発展途上国の格差、南北問題が生み出す歪みに関わっている。3曲目の<City of Turin>では、人身売買によってイタリアで売春を強要されるナイジェリア人女性の苦悩と孤独が綴られる。トルナトーレ監督の映画『題名のない子守唄』を思い出す人もいるだろう。7曲目の<Going To America>では、アメリカの貨物船を襲った海賊の生き残りで、アメリカに護送されたソマリア人の若者の思いが描かれる。

 8曲目の<Fever Sticks and Bones>は、政情が混迷を極めたジンバブエで孤児となり、国境の町で住む場所もなく彷徨い、リンポポ川を渡って南アフリカを目指す子供たちの現実が、ある少年の視点を通して描き出される。ジンバブエから南アに流入した厖大な数の難民の現実は、ニール・ブロムカンプ監督の異色のSF映画『第9地区』にも反映されている。10曲目の<Underneath The Hessian Bags>では、2008年末から2009年1月にかけてのガザ空爆で住む場所を失った人々の過酷な生活と哀しみが描かれる。

 さらに、コラボレーションから生まれた11曲の後に、作品を締めくくるようにナイマンが加えた最後の曲、サックス四重奏で演奏される17分24秒の大作<Song for Tony>にも注目すべきだろう。これは、1993年にナイマンの友人でビジネス・パートナーだったトニー・シモンズの訃報が届いたときに、ナイマンが、それまで書いていたサックス四重奏の楽曲を、トニーに捧げる作品に作り変えたものだ。

 ナイマンはこれまでにもしばしば死者に捧げる曲を作っている。かつて筆者がインタビューしたとき、彼はこのように語っていた。「これはある種のレクイエムのモードというものにわたしが親しみをおぼえ、 自然なものを感じるからです。西洋音楽の歴史のなかには、死に対するきまった表現モードが作り上げられ、わたしはそのラインを引き伸ばしているようにも思います

 同時代の実話にインスパイアされ、様々な感情が埋め込まれたマッカルモンの歌詞、心を揺り動かす彼の歌声、そして厳かに響くナイマンの楽曲。それらが融合したこの作品には、まさに現代の“メデューズ号の筏”という表現が相応しい奥深い世界がある。


(upload:2010/08/17)
 
 
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