MN ピーターの映画には必ず死が描かれています。だから彼と仕事をするときは、“Death Music”が避けがたいものになります。わたし自身のプロジェクトとしても、<I'll State My Cremona to a Jew's Trump>があり、
また60分の長さの<Memorial>はヘイセル・スタジアムで死亡したイタリア人のサッカーのサポーターたちに捧げたものです。わたしの死に対する関心は、一般の人々とそれほど大きな違いがあるわけではありません。つまり、死についていつも考えているのは、
それが避けられないものであるからであって、病的な関心を持っているからではありません。わたしは確かに死に対してある種の哲学的な不安を感じてはいますが、わたしの音楽的な志向には明らかにある種の精神分裂症的な傾向があり、それは、誰かが注目すべきことだと思います。
MN グリーナウェイの映画は、とても具体的で、逆説的になりますが、それゆえに観る人によって個々違った解釈が出てくると思います。わたし自身は教会とは関係ありませんし、宗教的な信念をもっていません。神を信じても、また信じようともしていません。
わたしは、自分の音楽を宗教的なものにしようとは思っていませんし、わたしの宗教的な音楽でも、それは教会音楽の構造を使ったりしているというだけなのです。「コック〜」では、詩篇の<Out of the Ruins>が使われていて、宗教的な作品に見えますが、
わたしはその内容を信じているわけではありません。そして、この曲には、アルメニアの大地震の被災者に対するシンパシーが込められています。