イングマール・ベルイマン
Ingmar Bergman


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(初出:「ベルイマン三大傑作選」劇場用パンフレット)
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映画作家たちに引き継がれた、ベルイマンの遺産

 

 ジャン=リュック・ゴダールは自身の講話を書籍化した『ゴダール 映画史』のなかで、イングマール・ベルイマンについて以下のように語っている。

ベルイマンは私の映画作家としての人生にきわめて大きな影響を及ぼしていて、たとえば『恋人のいる時間』には、そのいくつかの痕跡を見てとることができます。それになんなら、ベルイマンを――世に送り出したのではないにしても――掘り出したのは、われわれヌーヴェル・ヴァーグだと言えます。よくおぼえていますが、『不良少女モニカ』とか、題名は忘れましたが、ベルイマンのある映画とかを讃めたのは、われわれが最初でした。ベルイマンが大きな名声を博するようになったのは、われわれが彼の二、三本の映画を讃めあげたあとのことなのです

 ヌーヴェル・ヴァーグに見出され、世界的な評価を獲得したベルイマンは、ウディ・アレンを筆頭に、アンドレイ・タルコフスキー、ロバート・アルトマン、スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リンチなど多くの監督たちに影響を及ぼしてきた。しかも、ベルイマンの世界がもたらすインスピレーションは一様ではない。

■ タルコフスキー、ウィンターボトム、ラース・フォン・トリアー

 タルコフスキーは詩人としての感性を刺激され、芸術としての映画にこだわり、独自の映像言語を編み出した。ウェス・クレイヴンは『処女の泉』をベースに、『鮮血の美学』という強烈なインパクトを持つホラーを作り上げた。『第七の封印』は、『ウディ・アレンの愛と死』、『ビルとテッドの地獄旅行』、『ラスト・アクション・ヒーロー』、『パレルモ・シューティング』、『(500)日のサマー』、『果てなき路』など、様々なかたちのオマージュやパロディを生み出しつづけている。

 また、影響を受けていてもそれが見えにくいこともある。たとえば、マイケル・ウィンターボトムの場合だ。彼は、ベルイマンの遺作となった『サラバンド』が公開されたときに、「The Guardian」の特集記事“Back from the cold”に興味深いコメントを寄せている。テレビ業界に入った彼が最初に手がけたのは、ベルイマンの自伝に基づくドキュメンタリーだった。この企画でスウェーデンに長期間滞在した彼は、ベルイマン作品を観まくった。

 そこで思い出されるのは、彼のデビュー作『バタフライ・キス』のことだろう。ふたりのヒロインの関係や神の存在を確かめようとするかのように繰り返される殺人は、ベルイマンの世界に通じるものがあるからだ。だが、彼が感銘を受けたのは、対象や題材ではなく、非常にシンプルなアプローチだった。たとえドラマティックな状況ではなくとも、細部までありのままに描かれていれば、観客の心を動かし、見えないところでなにが起こっているのかを示すことができる。ストーリーに頼らず、徹底して人物と状況を浮き彫りにするようなウィンターボトムのスタイルは、そんな発見から発展してきたわけだ。


   《データ》
1952 『不良少女モニカ』

1956 『第七の封印』

1957 『野いちご』

1960 『処女の泉』

1966 『仮面/ペルソナ』

  『狼の時刻』

1972 『叫びとささやき』

(注:これは厳密なフィルモグラフィーではなく、本論で言及した作品のリストです)
 
 
 

 というようにベルイマンの影響は多岐に渡るが、そのなかでも特に大きな影響力を持つ要素を絞り込めないことはない。たとえば、ラース・フォン・トリアーの以下のような発言にはそのヒントがある。

ぼくが大学で映画理論の講義を受けていたころ、半年間ずっとベルイマンについてだけだった。だから、ぼくの映画人生のなかで、彼の占める場所はとんでもなく大きい。彼の映画は全部見た。彼が撮った石鹸のコマーシャルまで。ベルイマンが今も現役だというのは、嬉しい、『道化師の存在のなかで』は不思議な映画(註:テレビ用作品)だった。ベルイマンは、筋の途中、白塗りの道化を夢のような光りのなかに突然登場させて、しかも不自然でない、世界でただひとりの監督だと思う。ぼくたち観客は、起こったことを、そのまま自然に受け止めてしまうんだ」(『ラース・フォン・トリアー――スティーグ・ビョークマンとの対話』)

 この言葉にある白塗りの道化師は、『第七の封印』の死神に置き換えることができるが、ジャック・シクリエも同様の指摘をしている。「ところでもし『第七の封印』が「現存する最も美しい映画の一つ」(※エリック・ロメールの言葉の引用)であるとすれば、それは幻想的なもの(寓意的なもの)がごく自然に日常(現実)の中に導入されるあの方法の力によっている」(『ベルイマンの世界』)

■ ベルイマン作品の象徴01――過去をめぐる幻想

 ベルイマンの作品では、幻想的なものがごく自然に現実のなかに取り込まれている。多くの監督たちに影響を及ぼしているのは、そんな現実と幻想の狭間に登場人物の生を描き出す独自の視点と表現だろう。但し、幻想的なものがなにを意味するのかは作品によって変わる。ここではそれを大きく三つに分けてみたい。

 まず、過去が幻想的なものの源になっている場合であり、『野いちご』が代表作になる。名誉博士の称号を授与される主人公の老教授は、空間と同時に幻想的なものを通して時間を旅し、内面が変化していく。過去や記憶をめぐるこのようなアプローチに影響を受けている監督は少なくない。

 たとえば、ウディ・アレンだ。『私の中のもうひとりの私』では、充実した人生を送ってきたと信じる女性教授が、隣室からもれる精神分析医と患者の会話を耳にしたことがきっかけとなって、過去の自分を見つめなおす奇妙な旅を始める。『地球は女で回ってる』は、主人公の作家が母校での表彰式に臨むという設定がすでに『野いちご』をなぞっている。そのドラマでは、過去と現在、虚構と現実の境界が曖昧になり、“Deconstructing Harry”という原題が物語るように、主人公の人生が再構築されていくことになる。

 カナダの鬼才アトム・エゴヤンは、インタビューで最も影響を受けた監督としてベルイマンの名前を挙げている。その影響はまずなによりも過去に対する独自の視点に表れている。『エキゾチカ』、『スウィート ヒアアフター』、『アララトの聖母』といった彼の作品では、ドラマのなかで過去が徐々に明らかにされていくだけではなく、最終的に過去と現在を繋ぐ回路が変化し、導入部とは異なる世界が切り拓かれる。

 韓国映画界で異彩を放つパク・チャヌクも、影響を受けた監督としてベルイマンの名前を挙げている。パク・チャヌクの作品といえば、独特の美学に貫かれた造形や暴力描写が真っ先に思い浮かぶが、実は過去が重要な位置を占めてもいる。『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』、そしてハリウッドへの進出を果たした最新作『イノセント・ガーデン』で、主人公が向き合う過去には、冷酷な罠や秘密が隠されている。そして、そんな過去と現在のねじれが主人公の人生を大きく変えてしまう。
===>2ページへ続く


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