想田和弘インタビュー02
Interview with Kazuhiro Soda


2012年8月 新宿
演劇1――2012年/日本=アメリカ/カラー/172分/HD 演劇2――2012年/日本=アメリカ=フランス/カラー/170分/HD
line

【PAGE-2】

BACK

 

■■演技する平田オリザ■■

 要するにこの映画では、観察する立場にあるのは想田監督だけではない。平田オリザもまた観察することでリアルを生み出している。

「平田さんも観察者だと思うんです。たぶん一から台詞を考えるのではなく、普段の生活で見たことを記憶していて、膨大なデータベースが頭のなかにあるんだと思います。そこからいろいろ引き出して台本を構築する。演出するときにも俳優の動きなり、喋り方なりを観察することによって、台本をアジャストしていくわけですね。そういう意味では、この映画には『観察者を観察する』みたいな入れ子構造がある(笑)。それから平田さん自身もものすごく演技をされていると思うんですよ。とにかくカメラの無視の仕方が尋常じゃない。普通の人は『カメラを無視する』と言っても、ときどき僕のことをチラッと見たり話しかけたりするものなんですが、それもない。あそこまで無視するというのはやっぱり不自然なんです(笑)。でも振る舞いは演技に思えないくらい自然なんです。だから『僕はいまなにを撮っているんだろう?』と考え込んでしまった。つまりドキュメンタリーのカメラは何を映すのか、という難問にぶち当たった」

 『演劇1』で平田は、人間とは演じる生き物だと語っている。演じることは虚構のはずだが、それが人間の本性であるなら、リアルということになる。この映画がリアルに感じられるのは、そんなパラドックスをしっかりととらえているからだろう。

「実際、僕らは常に演じながら社会生活を営んでいますよね。だから人間が演じるという側面をとらえていくことは、人間とはなにかをとらえていくことでもあるわけで、どんどん深みにはまっていくんですよ。僕がなぜカメラを媒介にして現実と向き合おうとするのかといえば、やはり現実をある種の虚構に落とし込むことによってしか、『リアル』に近づけないような気がするんですよ。人間は虚構を通じてしか現実を把握できない、というか。たぶん平田さんも、そういうことで演劇を作っているんじゃないかな。あと、あのサプライズ・パーティにしても、大の大人がみんなはしゃいで志賀さんを騙すことに熱中するわけですけど、そういうところに演劇の原初的な形態や、『なぜ人は演じるのか』という問いへの糸口を感じますね。演劇は少なくともギリシャ時代にはもうあったわけですけど、その理由が何となく分かる」

■■広場としてのアゴラ劇場■■

 この映画では、平田と青年団が活動する「こまばアゴラ劇場」の看板が何度も映し出される。“アゴラ”とは、古代ギリシャの都市国家のなかで重要な位置を占めていた広場を意味する。それを踏まえるなら、2部作はそれぞれに、広場が生み出すものと、社会における広場の役割を明らかにし、広場が持つ意味を検証していると解釈することもできる。なぜならいまでは広場が、そこまでの求心力をもち得ないエンタテインメントに変わっているからだ。

「それ、素晴らしい解釈ですね。感動しました。あの小さな劇場は、本当にアゴラという言葉通りの場所になっていますよね。いま、お金を稼ぐための消費財としてのエンタテインメントがものすごく力を持っていて、それは別にいいんですけど、演劇や映画を作ることの本質とはずれている気がします。芸術って、もともとは資本主義的価値観とは相容れないものですよね。お金が最上位にある価値ではない。僕が平田さんの演劇に惹かれたのもそこが大きくて、彼は芸術作品を作りたいという根源的な欲求を一番大事にしている。あれだけいろいろ組織の効率化をはかり、資本主義的な価値観に合わせて動き回っているように見えるんですが、演劇に対してはものすごくストイックというか、妥協がないなんですよね。アゴラ劇場も、演劇をすることの欲求から生まれている場だという感じがあって、そういう意味では本当に広場なんでしょうね」


 
◆profile◆

平田オリザ
1962年東京都生まれ。劇作家・演出家。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、こまばアゴラ劇場芸術監督、三省堂国語教科書編集委員、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、(財)地域創造理事、日本劇作家協会副会長、東京文化評議会評議員、文部科学省コミュニケーション教育推進会議委員(座長)も務める。
83年、国際基督教大学在学中に劇団「青年団」を結成。「現代口語演劇理論」を唱え、95年に演劇論集『現代口語演劇のために』(晩聲社)を刊行。同年、『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞。98年『月の岬』(作:松田正隆、演出:平田オリザ)で第5回読売演劇大賞最優秀作品賞・優秀演出家賞、2002年『芸術立国論』(集英社新書)でAICT(国際批評家協会)演劇評論家賞、03年『その河をこえて、五月』で第2回朝日舞台芸術賞グランプリを受賞。08年、大阪大学にて世界初のロボット演劇『働く私』を発表。10年には、あいちトリエンナーレにてロボット版『森の奥』(平田オリザ+石黒研究室)、アンドロイド演劇『さようなら』を上演。
フランスを中心に世界各国で作品が上演・出版されている。また、コミュニケーションデザインの教育・研究に携わり、日本各地の学校において対話劇やワークショップを実践するなど、演劇の手法を取り入れた教育プログラムの支援・開発にも注力し、その活動は多岐にわたる。2009年、鳩山内閣の官房参与となり総理演説や情報発信にも取り組む。11年、フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエの叙勲を受ける。戯曲以外の著書に、『演劇入門』(講談社現代新書)、井上ひさし氏との対談集『話し言葉の日本語』(小学館)、『ニッポンには対話がない』(共著/三省堂)、『総理の原稿』(共著/岩波書店)など多数。
(『演劇1』『演劇2』プレスより引用)

 

 



■■『選挙』『精神』と本作の交差■■

 想田監督の観察映画は、それぞれに題材が異なり、独立した作品になっていると同時に、以前に扱った題材が、その後の作品の細部に引き継がれ、クロニクルといえるような連続性を持ち合わせているところも見逃せない。

「多かれ少なかれ前に描いたテーマが、自分の意識に影響してくるんですね。例えば『選挙』で政治家の世界を描いたので、今回も平田さんが民主党の政治家と会合を持ったり、鳥取市長や鳥取県知事にアピールしている現場に立ち会うと、自分のなかでアンテナがピッと立って、撮影にも気合が入ってしまうわけですよ(笑)。その結果、『選挙』で奏でた主旋律みたいなものが、『演劇』にも変奏曲のように表われてくる。あと、平田さんがメンタルヘルスの会合で講演をされたりするのも、『精神』と『演劇』の交差点ですよね。しかも平田さんが作るロボット演劇は、心の問題で働けないニートのロボットが主人公。それは僕が符合するものを探そうとしているわけではなくて、どうしても目につく、出会ってしまうわけですよ」

 以前、想田監督にインタビューしたとき、温めている企画は10も20もあり、そのなかでたまたま日本を舞台にした企画が連続して具体化したと語っていたが、今後についてはどんな展望を持っているのだろうか。

「いまは日本に興味がありますね。これまで日本を見てきた結果としての連鎖反応もあって、奥へ奥へとはまっていっている感じ。ただ、いま観察映画以外の企画も進行中で、それはチェコとスロバキアと日本が舞台なんですよ。デンマークの映画祭が、ヨーロッパと非ヨーロッパのドキュメンタリー監督をペアにして作品を撮らせる企画で、僕はスロバキアのピーター・ケレケシュ監督と組むことになった。彼はものすごくリサーチする人で、(主催者は)僕と真逆のアプローチをする監督をわざと組ませたんだと思います。共産主義政権下の日本人とチェコ人の恋物語がテーマなんですが、リサーチ抜きにはできない題材なので、とにかく相棒のやり方に乗っかって、どうなるのかを楽しんでます。観察映画の方も続けますが、大長編を終えてひと息つきたいという思いがあり、岡山の海辺の町でしばらく休暇を取ることにしています」

 
【PAGE-2】

(upload:2012/12/30)
 
《関連リンク》
観察映画第一弾『選挙』 レビュー ■
観察映画第二弾『精神』 レビュー ■
観察映画番外編『Peace ピース』 レビュー ■
想田和弘インタビュー01 『精神』 ■
『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』レビュー ■
『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』レビュー ■
観察映画第三弾・第四弾『演劇1』『演劇2』 公式サイト

 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp
 


copyright