そして観客は、先入観を持つことなく、健常者と障害者、あるいは精神というものについて、自分で考え、解釈していくことになる。この診療所は、観察映画にとって格好の題材のように見えるが、想田監督にはそんな計算があったわけではない。
「僕はリサーチをしないし、撮る前から『こういうものが撮りたい』と思わないようにしている。こらーる岡山にカメラを向けたから、ああいう映画になったということで、別のものに向けていたら、まったく別の映画になって、テーマすら変わっていたと思いますね。すべては逆の発想というか、ドキュメンタリストは普通、精神科なら精神科という題材の全体状況をまず調査し、そのなかからこことあそこというように被写体を選び出し、撮影していくんですが、僕の場合はまず被写体ありき。その狭いところにじっくりとカメラを向けて、そこから広い世界を見ていくようにしています」
この逆の発想は興味深い。観察映画の強みは、テーマや題材に縛られないところにある。想田監督が観察しているのは、突き詰めれば人と人の繋がり、コミュニケーションの在り方のように思えてくる。
「『選挙』で描いた世界と『精神』で描いた世界では、コミュニケーションの在り方が180度違っていて、日本社会の中心部と周辺部を見るような感じがあると思います。『選挙』に登場する人々は、社会の価値観を丸呑みにして、疑問や感情のスイッチをオフにしているように見える。『精神』では逆に、誰も既成の価値観を受け入れてなくて、スイッチがオンなんですよ。で、今製作中の次の作品は、平田オリザさんと劇団『青年団』の話で、彼らは芸術家集団ですから、中心でも周辺でもない。その中間なんです。この3本からは日本社会の多面的な様相が見えてくるのではないかと思っています」 |