現代のイタリア映画界を代表するガブリエーレ・サルヴァトーレス監督の新作『ニルヴァーナ』は観客を大いに戸惑わせることだろう。これまで日本で知られる彼の作品『マラケシュ・エクスプレス』やアカデミー外国映画賞を受賞した『エーゲ海の天使』では、ロード・ムーヴィや戦争という状況から導き出される意外な展開のなかで、サッカーによる結びつきなど味わい深いユーモアを通して人間が描きだされ、思わず心が和んでしまうような印象を残した。だが、『ニルヴァーナ』の設定はそれらとはまったく違う。
舞台は2050年の近未来世界、主人公のゲーム・クリエーターは、ウイルスによって自我に目覚めてしまったゲームのキャラクターを生死が無限に繰り返される悪夢の世界から解放し、さらに消えた恋人を探し出して自らも救いを見出すため、現実と仮想現実が交錯する混沌とした世界に踏み出していく。サルヴァトーレス作品を知る観客は、そんな設定に頭を抱えるに違いない。
では、仮想現実やゲーム、ウイルスといったキーワードに興味をそそられた観客はといえば、こちらも怪しい。『ブレードランナー』やサイバーパンクを経てデジタル・カルチャーをフォローする観客には、どこか洗練されていないとか、ちょっと古いといった印象を持たれてしまうように思える。しかしそれは、サルヴァトーレスが非常にユニークな世界観からこの映画の世界を構築しているからだといえる。
たとえば、この映画には仏教で涅槃を意味する“ニルヴァーナ”というタイトルも含めて東洋思想が色濃く反映されている一方で、クリスマスに至る3日間の物語であり、データ・バンクの侵入者排除装置に<デビル>、ハッカーに<エンジェル>という名前が付けられているように、キリスト教と異教が混在してもいる。
「宗教というのはお互いに様々な接点を持っていて、たとえばキリスト教にはイエスがインドの賢者を訪ねて10年を過ごしたという逸話があります。私が特に仏教に惹かれるのは、仏陀の考え方がいま私たちが生きている現実に深く関わっているからです。仏教には、混沌の海を意味するサムサーラや幻想を意味するマイヤという言葉があり、その考え方は仮想現実と非常によく似ているのです。この映画ではそれを結びつけることによって平行して存在するふたつの世界を作りました。また宗教が混在しているのは、お互いに感染しあうことによって新しい考え方が生まれ、この世とはどんなもので、私たちは何者なのかという答が見えてくると思うからでもあります」
このコメントのなかにある“感染”という言葉には違和感をおぼえる人もいると思うが、サルヴァトーレスがいまハリウッド資本によって映画化の準備を進めている小説『カルカッタ染色体』の内容を知ると、この言葉に深い意味があるように思えてくるはずだ。これはインド系の作家アミタヴ・ゴーシュがアーサー・C・クラーク賞を受賞したSF小説で、物語はその時代が21世紀初頭のマンハッタンから現在のカルカッタ、さらに今世紀初頭のインドへと広がり、マラリアの感染システムの解明が生命の神秘へと結びついていく。
つまり、『ニルヴァーナ』のウイルス、次回作のマラリアというように、感染が彼の映画の鍵となっているのだ。これはたとえばウイルスについて、かつては単純に病気の原因と考えられていたものが、逆に人間の進化に深く関与し、人間の未来の鍵を握っているといった近年の新しい考え方に近いようにも思える。
「まったくその通り、その新しい考え方に共感します。病気から自分を守るというのは古い考えで、感染によって新たな治癒、癒しというものが得られるということだと思います。まさしくそれこそが、私が描きたかったことのひとつなのです。さらに文化的な観点からいえば、私は『エーゲ海の天使』(原題は“地中海”)という映画を作りましたが、地中海というのはまさにイタリアやスペイン、アラブなどの多様な文化に感染する場所だったんです。そんな感染のおかげで新しい建築や食べ物、言葉が生まれ、まさしくウイルスのように情報を運んだといえるのではないでしょうか。そしていまでは、交通機関やネットの発達で感染の速度も早まり、範囲も拡大している。私は人が感染を喜んで受け入れることによって新しい生き方を発見するのだと考えています」 |