現代イギリス文学を代表する作家カズオ・イシグロのベストセラー『わたしを離さないで』がついに映画化された。監督はミュージック・ビデオで数々の賞に輝き、長編は『ストーカー』(02)以来8年ぶりとなるマーク・ロマネクだ。
以前からイシグロのファンだったという彼は、この原作にどんな印象を持っていたのだろうか。
「初めて読んだときに最後のところで泣いてしまった。それから何ヶ月もこの小説のことが頭から離れなくなり、もう一度読んで、これはいい映画になるかもしれないと思うようになったんだ。彼の小説はキャラクターがリアルで奥行きがあり、シチュエーションがペーソスを生み出す。点滴を打つように徐々に展開する語り口や鮮烈なイメージなど、とても映画的だと思う」
10年近く前に筆者がイシグロにインタビューしたとき、彼は「小説独自の体験」にこだわり、「映画に翻訳不可能な表現を心がけている」と語っていた。ではロマネクはどんなところに注意を払って原作を映像に翻訳したのだろうか。
「何が難しいかといえば、テーマの大きさと表現の繊細さのバランスをとり、独特の雰囲気を醸し出すことなんだ。でも未来的なコンセプトを過去に持ってきたことがそもそも映画的であり、素晴らしいアイデアだと思う」
確かに、主人公たちはテクノロジーの申し子であり、人間とは何かを問うような大きなテーマが埋め込まれている。しかし、物語の背景は過去の世界であり、哀しい宿命を背負った主人公たちの恋や友情からそんなテーマが浮かび上がる。
この映画でロマネクが語るバランスが際立つのが、主人公たちが外の世界に踏み出し、ダイナーに立ち寄る場面だ。一人称で綴られる原作では主人公の視野は限られているが、映画ではウェイストレスや他の客との微妙な距離を通して、彼らの特殊な立場が暗示される。
「実はあそこがこの映画で一番好きな場面なんだ。5人の俳優たちが素晴らしく、表情や感情が豊かで、とても誇りに思っている。(脚本を書いた)アレックスは、あの場面を客観的にとらえていたけど、僕のアイデアで、他の客の視線も交えながら、彼らがダイナーにいるという状況を表現したんだ。でも今回は、優れた原作と脚本、理想的なキャストに恵まれたので、僕は演出が過剰にならないよう、シンプルに撮ることを心がけていた」
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