カズオ・イシグロの新作『わたしを離さないで』のヒロインは、ヘールシャムと呼ばれる施設で育った31歳の介護人キャシー。彼女が記憶をたぐりながら語ろうとするのは、「保護官」とか「提供」という表現やアルファベットで表記される生徒の姓などが違和感を漂わせることを除けば、寄宿学校における青春の日々のようにも見える。だが次第に、その違和感がSF的な設定に繋がっていく。
イシグロは、この小説で完全に新たな次元へと踏み出している。それは、リアリズムを基調とする『日の名残り』から、カフカを想起させる『充たされざる者』や探偵小説にインスパイアされた『わたしたちが孤児だったころ』へと変貌を遂げてきた彼が、今度はSF的な世界を切り開いたということではない。
彼が追求するものの本質は変わっていない。『日の名残り』の執事は、邸内で催される外交会議によって、「世界という車輪の中心」にいたことを自負する。『充たされざる者』の音楽家は、求心力を失いかけた町のなかで救世主に祭り上げられていく。『わたしたちが孤児だったころ』の探偵は、失踪した両親を探すうちに、世界の破滅を回避する責任を背負っている。
そうした状況は、新作に出てくる表現を借りるなら、“ほのめかしと思い込み”から生じる。これは、記憶をどこまでも掘り下げていくイシグロが見出した相互作用といえる。彼は、リアリズムを放棄して主人公の頭のなかに入り込み、その作用が生む期待によって、主人公の使命が変質する過程をつぶさに描き出す。そして、重大な使命が幻想と化していくとき、人間の本性が露になる。
『わたしを離さないで』にも、ほのめかしと思い込みが随所に散りばめられている。しかしそれは、キャシーの頭のなかにあるのではなく、ヘールシャムの保護官と生徒、生徒同士、あるいはヘールシャム出身者と他の施設の出身者との間にある。
先述したように、この小説からはSF的な設定が浮かび上がってくるが、読者は、そのことに驚くのではなく、驚かないことに驚く。そして、生徒たちと世界を共有していることに気づく。キャシーは、このように語っているのだ。「成長して、保護官からいろいろなことを知らされたとき、そのどれにも驚かなかったのはなぜか」 |