カズオ・イシグロ・インタビュー
Interview with Kazuo Ishigro


2001年10月23日 神田
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(初出:日本版「BAZAAR」2002年1月号、加筆)

 

 

記憶を出発点に混沌へと向かう文学の冒険

 

 デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞、映画化もされた『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、最新作の『わたしたちが孤児だったころ』がこれまで以上に幅広い読者に受け入れられ、大ベストセラーになるなど、カズオ・イシグロはイギリスを代表する作家として、不動の地位を築き上げている。

 イシグロの物語では、常に記憶が重要な意味を持つ。登場人物たちは様々な形で記憶をたぐり、自分と世界の関係を見つめなおす。この記憶へのこだわりは、彼が長崎に生まれ、5歳でイギリスに移り、そこで成長したことと無縁ではない。

「最初の作品を書いているときにはまだはっきり自覚していたわけではないのですが、それを仕上げたあとで、なぜ私が小説を書いていたのか考えたとき、ある種の個人的な日本というものをフィクションの世界のなかにとどめようとしていたことに気づきました。それは私の頭のなかに作り上げられた日本でした。私の人生の最初の5年間で覚えていたことから、巨大な記憶が作り上げられました。なぜなら、これらの記憶は、私がイギリスで成長するうちに見たり読んだりしたものと混ざり合っていったからです。つまり、最初の小説で私が試みたのは、私が記憶と想像力で作り上げた日本というものをそこにとどめることだったのです。それで、過去を回想するという行為をとおして書くということが、自分にとって自然なことになったのです。
 それが出発点ですが、小説を書きつづけていくうちに、私が興味を持つものを探求していくうえで記憶がとても重要なものであることがわかりました。人間は、記憶というこの奇妙なレンズ、フィルターを持っていて、成功した人間も失敗した人間も、過去を見るときにこのレンズを使ってイメージを操作し、過去を変える。記憶は人々が苦闘する姿を見つめる鍵になる。人間は一方で過去の忌まわしい出来事を隠そうとし、もう一方にはあるがままに正直に見つめ、自分たちが何者で、何をしたのかを明らかにしたいと望む傾向があります。ふたつの要素がせめぎあっているのです。記憶について書くようになってから、それが人間を見る方法になりました。彼らがどうやって自分を見出していくか、思い出そうとする雰囲気を作り上げることに強い興味をおぼえると同時に、それはなにか美しいことだとも思います」

 イシグロはこれまでに5冊の長編を発表し、そのほとんどの作品がふたつの大戦間、及び戦後の時代を背景にしている。

「私は現代の状況のアレゴリーとして過去を使う文学的な試みをしているとは思いません。この世界には、不安、恐れ、希望など、時を越えて人々がもつ普遍的な感情があり、私は過去のなかでそれをとらえようとする。私が自分の時代を去って、異なる状況や設定にある人間を見れば、私が生きている世界との距離のなかで、私たちに関する事柄、いまでは重要とされていない事柄、私たちがいま心配している事柄などがより深く見えてくるのです。
 イギリスには現代の作家が過去の時代、特に両大戦間の時代を題材にするトレンドがあり、高く評価され、商業的な成功も収め、自然に受け入れられています。私は、現代のイギリスが退屈だと思っているわけではありませんが、私たちは安全な時代を生きています。イギリスやヨーロッパは安定した時期にあり、豊かで民主的で安全ですが、より大きな問題を扱うのに向いているとはいえません。作家は舞台を選択することができます。たとえば地理的な旅によって、アフリカや中東を舞台に書くこともできれば、時間的な旅によって、イギリスの50年前について語る方が有効な場合もある。私は、戦争が起こり、民主主義が危機に瀕し、価値観が大きく変わる時代、そんな過去に戻ることに魅力を感じる。そして、私たちが贅沢で安全な時代を生きていることに対するある種の罪悪感について学ぶことにもなります」


▼プロフィール
カズオ・イシグロ
1954年11月8日長崎市生まれ。1960年、5歳のときに海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡る。以降、日本とイギリスの2つの文化を背景にして育ち、ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。はじめはロック・ミュージシャンを目指すが、やがてソーシャル・ワーカーとして働きながら、1981年から執筆活動を開始する。長編デビュー作『遠い山なみの光』(改題『女たちの遠い夏』)は王立文学協会賞を受賞し、9カ国語に翻訳された。つづき、1986年に発表した『浮世の画家』でウイットブレッド賞を受賞。長編第3作の『日の名残り』(1989)で、イギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した。国境を越えたその普遍の文学性で、イギリスのみならず世界中からもっとも注目される作家である。
(カズオ・イシグロ・フォーラムのプレスより引用)
 

 

 
 

 

 イシグロの新作『わたしたちが孤児だったころ』も30年代のロンドンから物語が始まり、日中戦争が激しさを増す上海へと舞台が変わる。意外なのは、主人公が探偵という設定だが、これもイシグロのなかで戦争の歴史と深く結びついている。

「探偵小説は10歳か11歳の頃から読んでいました。シャーロック・ホームズやアメリカの探偵小説が非常に好きでした。それを娯楽として読んでいたわけですが、この新作に取りかかる少し前に、(新作の物語と)同じ時代のイギリスの探偵小説を何冊かもう一度読み返してみて、子供の頃には気づかなかった新しい側面が見えてきたのです。アガサ・クリスティやドロシー・セイヤーズの当時の小説にはまず、とても理想的なイギリスの社会が出てきます。美しいイギリスの田園が舞台だったり、イギリス人が海外に旅行をする。そこには階級制度など秩序が保たれた整然とした世界がある。ところが殺人のような悪いことが起こり、秩序が壊される。探偵小説はいつの時代にも人気のあるものですが、私が興味深いと思ったのは、第一次大戦直後のイギリスで特に大きな盛り上がりをみせたことです。
 イギリス人には強烈なトラウマが残っていました。初めて大戦という戦争の恐怖を体験し、政治の指導者が自分を見失い、ナショナリズムや人種差別主義、武力が支配し、たくさんの人間が死に、人々はイギリス社会がもうもとには戻らないと思うほどのショックを受けました。私は当時の世代は、探偵小説によって元気づけられ、その世界に逃避することで癒されていたのだと思います。その物語のなかでは、悪いことが起こって、美しく秩序あるイギリスがいかにして壊されるかがくり返し、くり返し語られる。しかし心配はいらない。探偵が現れて、秩序を回復してくれるから。探偵小説は、この歴史的な文脈において娯楽と同時に大いなる感動をもたらしてもいた。そこで、主人公の探偵が事件を解決すれば、世界の緊張も回避されるのではないかというアイデアが閃き、新作のひとつの出発点になったのです」

 1900年代初頭、上海の租界で暮らしていたクリストファー少年は、両親の失踪によって孤児となり、イギリスに帰る。やがて探偵となった彼は、両親を探し出すために上海に戻ってくる。

 主人公の人生の分岐点と歴史の大きな転換点が交差するという意味では、この新作は『日の名残り』を連想させるが、作品の本質はまったく違う。イシグロはこの2冊の間に『充たされざる者』という大胆な冒険を試みたシュールな作品を発表している。この小説では、主人公がカフカを連想させるような世界に引き込まれていくのだ。

「『日の名残り』と『充たされざる者』のあいだで、私の人生観や創作に大きな変化があったのだと思います。私の最初の3作品は、ある意味でほとんど同じ小説、似た物語です。同じものを3種類の視点で見ている。若い人間の考え方なのです。政治やモラルなどの価値観や信条が、人生のなかで未来を切り開くのを助け、導いてくれる、重要なことは正しい価値観を持つことだ。私は、多くの若者はそういうふうに考えていると思います。政治的な価値観について、夜遅くまで、眠ることなく議論をする。そこには確信がある。正しい価値観を選択すれば、よりよい人生を送ることができる。人生を正しい方向に向かって生きる機会が得られ、快く振り返ることができる。私の初期の作品はそのような感覚から出発していた。
 しかし、『日の名残り』と『充たされざる者』のあいだで、そのようなモデルに不満を感じるようになった。いくら明確な道を歩んでも、そこには過ちがある。偶然や運にも委ねられている。だから、明確な道ではなく、森やジャングルのなかで道に迷い、方向性を見失うような、もっと混沌としてコントロールがきかない世界を描こうとした。人生や過去をコントロールすることがある種の幻想であるかのように。信条や価値観を持つのが重要であることはもちろん間違いないのですが、人が生きていくうえではもっと他の要素があり、岐路に立ったときに運や偶然が人生を決定することもある。選択した価値観のとおりに道は開かれない。そして『充たされざる者』を書き上げたあとに、今度はもっと従来の形式にしたがった小説、明確なプロットがあって、しかもミステリアスでコントロールがきかないというアイデアを引き継いだ作品を書きたいと思ったのです」

 新作の主人公は、イギリスを舞台にした前半では、次々と事件を解決し、人生に対する確信に満ちている。しかし舞台が上海に移る後半では、その確信が混沌とした世界を作り上げていく。

「この小説の後半部分は、前半とは記憶の使い方が違います。後半にあるのは、子供時代を思い出すというような記憶ではありません。後半の書き方にはいくつかの選択肢がありました。(主人公の)クリストファーが訪れる上海をもっとリアルに描き、現実感のある体験とすることもできた。彼は、頭のなかにある秩序が狂っている可能性がある。彼はおかしくなって、両親を探し出すことによって世界を救えるという考えを持つ。私はそのことを、上海にいる人々をとおして明確にすることもできた。本来なら彼がそんなことを言うたびに、周囲の人間は怪訝そうに彼を見るはずです。私は、最初はそんなふうに描こうと考えました。しかし、もっと興味深く、しかも危険な方法を思いついた。
 リアルな設定のなかで彼が狂っているのを描くのではなく、印象派の絵のように、彼の頭のなかでは世界がどのように見えているのかを描く。だから人々が、彼のことを狂っているかのように見ないようにした。上海は彼の欲求によって形を変えていく。そのため、この物語は読者にとってもひとつの挑戦となるはずです。作家としてはより危険な選択になりますが、私が最も興味をそそられたのは彼の頭のなかで世界がどのように見えているのかを描くこと。人々が、彼が狂っているのを発見するのではなく、彼が求めるものによって変貌する上海を描くことだったのです」

 現代では視覚的なメディアが無限に増殖し、人々が内面よりも表層にとらわれている傾向がある。そういう意味でもイシグロの世界は興味深く思えるのだが、彼は、視覚的なメディアと自分の作品世界の関係をどう見ているのだろうか。

「私はかなりの映画好きで、映画は大きな可能性を秘めたメディアだと思います。実は1作目と2作目のあいだに、テレビドラマのシナリオを書く機会がありました。その経験が、視覚を通して物語を語ることと小説で語ることの違いを明確にしてくれました。その経験をしてから、小説が、映画やテレビの番組から得られるのとはまったく違う体験を読者に提供するものであることが重要だと思うようになりました。私は最初の小説に不満をおぼえました。テレビのシナリオに通じる表現だったからです。そこで私は、映画には不可能で小説が提供できるのは、どのような表現かを考えるようになりました。私たちは、文化としての視覚的なメディアに支配された世界に生活しているため、それを考えることは重要だと思います。小説独自の体験を生みだす方法を発見するために努力しました。活字メディアは人間の内面に入り込み、内的な世界を構築することができる。書く場合には、映画に翻訳不可能な表現を心がけています。但し、小説を書き上げたあとでは、エージェントに映画化権はどうなっているかと尋ねたりしますが(笑)。
 しかし小説と視覚的なメディアは対立しているわけではありません。現代では映像文化によってたくさんのイメージが読者にとって身近なものになっている。だから舞台や物事について細かく描写する必要がない。たとえば、世界の人々がイギリス人の執事のイメージを持っている。小説家はそのイメージを利用し、操作することによって、これまでよりも容易に異なる世界を構築することができるのです」


(upload:2002/04/25)
 
 
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