スペース・カウボーイ
Space Cowboys


2000年/アメリカ/カラー/130分/シネマスコープ/ドルビーSRD・DTS・SDDS
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(初出:「Pause」)

死とともに生きるヒップスターの孤独と連帯

 クリント・イーストウッドの監督作品で筆者の興味を引くもののひとつに、世代が異なる根無し草同士の旅の構図がある。その出発点になっているのは、イーストウッドの監督作ではないが、彼がマイケル・チミノを監督に起用した『サンダーボルト』ではないかと思う。豪快な手口で金庫を破る銀行強盗のサンダーボルトと器用ですばしっこい若者ライトフットの旅には、アクション映画と一線を画す魅力があった。

 その後この構図は、イーストウッドの監督作のなかで、様々にかたちを変えながら発展していく。それはたとえば、南北戦争末期に“ひとりの軍隊”と呼ばれて恐れられた一匹狼と彼が北軍の罠から救った南軍の若者の逃避行(『アウトロー』)であり、肺を病んだシンガーと彼の甥である少年がナッシュビルを目指す旅(『センチメンタル・アドベンチャー』)であり、モダンジャズの巨人パーカーと若き白人トランペッター、レッドが南部をツアーする旅(『バード』)であり、エキセントリックで破滅的な映画監督と自分を抑制する術を心得ている脚本家がアフリカで映画を作る旅(『ホワイト・ハンター ブラック・ハート』)である。

 彼らの旅を見ていて筆者がいつも思いだすのは、作家のノーマン・メイラーが『僕自身のための広告』というエッセイ集に書いているヒップスターのことだ。メイラーはアメリカ的な実存主義者であるヒップスターをこのように説明している。それは、「死の条件を受け入れ、身近な危険としての死とともに生き、自分を社会から切り放し、根なしかずらとして存在し、自己の反逆的な至上命令への、地図もない前人未踏の旅に立つこと」を自分に課す人間である。

 主にイーストウッド自身が扮する主人公は常にヒップスターとして生き、彼と行動をともにする若者は、その旅のなかでヒップスターとして生きることの厳しい現実を思い知り、ある時は力尽き、またある時は自分に相応しい世界へと帰っていく。そんなドラマにアメリカを感じるのだ。

 しかし彼の近作ではこの構図に変化が見られる。それをよく物語るのが『許されざる者』だ。この映画にも、かつて冷酷な殺人鬼と恐れられた男マニーといっぱしの賞金稼ぎを気取った若者キッドの旅があるが、以前に比べると若者の存在が薄い。その一方で印象的なのが、かつてのマニーの仲間で、旅に加わるネッドの存在である。若者から賞金稼ぎの話を持ちかけられたマニーは、ネッドを加えることを条件にする。また映画の結末でも彼は、若者ではなくネッドとの絆に対してけじめをつける。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
製作 アンドリュー・ラーザー
Andrew Lazar
製作総指揮 トム・ルッカー
Tom Rooker
脚本 ケン・カウフマン、ハワード・クラウスナー
Ken Kaufman, Howard Klausner
撮影 ジャック・N・グリーン
Jack N. Green
編集 ジョエル・コックス
Joel Cox
音楽 レニー・ニーハウス
Lennie Niehaus
 
◆キャスト◆
 
フランク・コービン   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
ホーク・ホーキンズ トミー・リー・ジョーンズ
Tommy Lee Jones
ジェニー・オニール ドナルド・サザーランド
Donald Sutherland
タンク・サリバン ジェームズ・ガーナー
James Garner
ボブ・ガーソン ジェームズ・クロムウェル
James Cromwell
サラ・ホランド マーシャ・ゲイ・ハーデン
Marcia Gay Harden
-
(配給:ワーナー・ブラザース映画)
 

 また『トゥルー・クライム』では、以前なら主人公のベテラン記者エベレットと行動をともにしたであろう女性記者があっけなく事故死してしまうし、他の若者も影が薄い。これに対して、主人公と同時代を生きてきた人間たちは、本意ではない立場にあってもまだ誇りだけは忘れていない。そしてエベレットは、『許されざる者』のマニーが死者たちの姿を見たように、死者たちの声を聞き、真相に迫る。女性記者も死者としてしか彼に組することができないのだ。

 新作の『スペース・カウボーイ』では、かつて怖いもの知らずのパイロット・チームを組んでいた老人たちと現在のNASAでトップクラスの若いパイロットたちが宇宙に旅立つ。ところがそこで非常事態が発生したとき、若者たちは意識を失っているだけで、ドラマは老人たちの独壇場となる。

 この映画は、宇宙を舞台にした『許されざる者』の見事な変奏になっている。『許されざる者』には、名を馳せたガンマンの評伝を書く作家が登場する。イーストウッドはこの作家をめぐるエピソードを通して、現実と虚構としての情報の落差を強調している。賞金稼ぎを気取ったキッドは、そんな情報に毒された若者であり、マニーを通して現実を思い知らされたとき、銃すら捨てる。『スペース・カウボーイ』の若者たちも、シミュレーション=情報でしか世界を認識できないように訓練されているため、現実の前では何もできない。

 一方、「身近な危険としての死とともに生き」てきた老人たちは、マニーが娼婦たちと静かに心を通わせたように、女たちに温かく見守られる。そして危機的な状況のなかでも、かつてともに戦った仲間としてのけじめをつけていく。宇宙に行っても変わらないこのカウボーイたちの姿は、何ともすがすがしい。


(upload:2011/01/07)
 
 
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