ヒア アフター
Hereafter


2010年/アメリカ/カラー/129分/シネマスコープ/ドルビーSRD・DTS・SDDS
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(初出:月刊「宝島」2011年3月号、若干の加筆)

 

 

喪失の痛みと孤独を抱えた人々が“媒介者”になるとき...

 

 監督クリント・イーストウッドは生者と死者の関係を様々なかたちで掘り下げてきたが、『グラン・トリノ』でそのアプローチが変化した。以前のように死者と向き合い、死者の声に耳を傾けることで生を見つめなおすだけではなく、境界まで踏み出し、死者の声を生者にどう届けるのかを問題にするようになった。

 『グラン・トリノ』に続く『インビクタス 負けざる者たち』でも、ネルソン・マンデラは南アの大統領であるだけでなく、生者と死者を繋ぐ媒介者でもあった。ラグビー南ア代表の主将ピナールは、そんな媒介者としてのマンデラに導かれるようにして死者たちの声を聞くのだ。

 新作『ヒア アフター』は、そんな流れを踏まえてみるとより興味深く思えるはずだ。この映画に登場する主人公たちは、異なる事情で生者と死者の境界に立ち、あるいは境界に近づこうとする。

 パリに住むニュースキャスターのマリーは、休暇で訪れた東南アジアで津波にのまれて臨死体験をし、その時に見たビジョンが頭から離れなくなる。ロンドンに住む少年マーカスは、双子の兄を事故で亡くした悲しみから立ち直ることができない。サンフランシスコに住むジョージは、自分の霊能力を呪いとみなし、何とか死者の声から逃れようとする。やがて見えない糸に引かれるように彼らの人生が交差していく。


◆スタッフ◆
 
監督/製作/音楽   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
脚本/製作総指揮 ピーター・モーガン
Peter Morgan
製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ
Steven Spielberg
撮影 トム・スターン
Tom Stern
編集 ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ
Joel Cox, Gary D. Roach
 
◆キャスト◆
 
ジョージ   マット・デイモン
Matt Damon
マリー・ルレ セシル・ドゥ・フランス
Cecil de France
ビリー ジェイ・モーア
Jay Mohr
メラニー ブライス・ダラス・ハワード
Bryce Dallas Howard
マーカス/ジェイソン ジョージ&フランキー・マクラレン
George & Frankie McLaren
ディディエ ティエリー・ヌーヴィック
Thierry Neuvic
ルソー博士 マルト・ケラー
Marthe Keller
-
(配給:ワーナー・ブラザース映画)
 
 

 イーストウッドの『真夜中のサバナ』に登場する女祈祷師は、「死者と語り合わなければ、生者を理解できない」と語るが、一般社会ではそんな言葉はあっさり受け入れられるものではない。だから境界に立つ者はしばしば孤立を余儀なくされる。

 この映画では、死者の声を求めることと届けることの孤独と痛みが描き出される。ジョージはなぜ自分の霊能力を呪いとみなすのか。世の中には死者のことを忘れたいと思う人間もいる。ところが彼は、相手に触れるだけでその忘れようとしているものが見えてしまう。そうなると自然に人と愛し合うこともできない。

 もう一度兄と話すために霊能者を訪ね歩くマーカス少年が、偽者ばかりにあたってしまうのも致し方ない。霊能力は必ずしもありがたいものではなく、その苦痛に耐えられなければ霊能者の看板を出すことなどできないからだ。一方、自分の体験を受け入れようとするマリーも、大きな犠牲を払うことになる。彼女は死後の世界に関する本を書くために、キャスターの座も恋人も失ってしまう。

 イーストウッドにとって重要なのが、死後の世界の真偽などではないことは、この三者の関係から読み取ることができる。マーカス少年は、霊能力があるわけではないし、臨死体験をしたわけでもないが、ジョージやマリーと対等な存在として扱われている。つまり、深い孤独と痛みを抱えた人間はみな何らかの媒介者になり得るということなのだ。


(upload:2011/12/18)
 
 
《関連リンク》
『J・エドガー』 レビュー ■
『インビクタス 負けざる者たち』 レビュー ■
『グラン・トリノ』 レビュー ■
『ミリオンダラー・ベイビー』 レビュー01 ■
『ミリオンダラー・ベイビー』 レビュー02 ■

 
 
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