グラン・トリノ
Gran Torino  Gran Torino
(2008) on IMDb


2008年/アメリカ/カラー/117分/シネマスコープ/ドルビーSRD・DTS・SDDS
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(初出:日本版「Esquire」2009年6月号、若干の加筆)

 

 

死者の声を聞く立場から死者の声を届ける立場へ

 

 クリント・イーストウッドの作家としての成熟は常に、死者と向き合い、死者に導かれ、死者の声に耳を傾け、死を通して生に目覚めることと深く関わっていた。

 『グラン・トリノ』は、主人公ウォルト・コワルスキーの妻の葬儀の場面から始まる。ウォルトにとって唯一の理解者だった彼女は、懺悔してほしいという夫への最後の願いを神父に託していた。そこで、これまでのイーストウッド作品を踏まえるなら、ウォルトがいかにして死者の声に耳を傾け、生に目覚めていくのかに注目したくなるところだが、この映画はそんな予想を裏切る展開を見せる。

 朝鮮戦争の帰還兵であるウォルトは、重い過去を背負っているようだが、死者の願いを受け入れて懺悔しようとはしない。それはなぜか。彼が偏屈で頑固ということもあるし、神父や教会を信じていないということもあるが、それだけではない。

 ウォルトの在り様は、彼が自慢にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>が物語っている。それは彼が自動車工だった時代に手がけた一台だが、毎日、磨き上げた愛車を眺めるだけで、運転することはない。彼の人生とは現在の単純な繰り返しであり、時間が止まっているともいえる。彼はそんなふうにして過去から目を背けている。

 そしてこの映画からは、オリヴィエ・アサイヤスの『夏時間の庭』と共通するテーマが浮かび上がってくる。オルセー美術館の全面協力を得て製作された『夏時間の庭』では、母の死と三人の子供たちによる遺産相続が描かれる。そのドラマは筆者に、フランスの古典学者フランソワ・アルトーグの『「歴史」の体制』を思い出させる。そこには、80年代のフランスにおける記憶と遺産化の大ブームがこのように綴られている。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
脚本/原案 ニック・シェンク
Nick Schenk
原案 デイヴ・ヨハンソン
Dave Johannson
撮影 トム・スターン
Tom Stern
編集 ジョエル・コックス、ゲイリー・ローチ
Joel Cox, Gary Roach
音楽 カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
Kyle Eastwood, Michael Stevens
 
◆キャスト◆
 
ウォルト・コワルスキー   クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
タオ・ロー ビー・ヴァン
Bee Vang
スー・ロー アーニー・ハー
Ahney Her
ヤノヴィッチ神父 クリストファー・カーリー
Christopher Carley
-
(配給:ワーナー・ブラザース映画)
 
 

遺産は、保護され、リスト化され、価値を定められ、再検討されるべきものである。数々の記念館が建てられ、大小様々な美術館が改増築された

 『夏時間の庭』で遺産を相続することになった子供たちは、グローバリゼーションのなかで生き、もはや歴史を必要としていない。だから、母が遺したコレクションは美術館に寄贈され、遺産化によって家族の歴史は拭い去られていく。アサイヤスはそこに歴史の終わりを見ている。これはもちろんフランスに限ったことではない。

 『グラン・トリノ』のウォルトもまた、過去から逃れるために遺産化に加担している。もしそのまま彼が人生を終え、絆も感じられない息子たちの手に遺産として愛車が渡れば、かつて彼が歩んできた時間は失われ、歴史は終わりを告げるだろう。しかし、隣に引っ越してきた移民の少年が、ウォルトの止まっていた時間を動かす。少年が見つめるガレージには、自動車工だったウォルトが何十年もかけて揃えた工具がきれいに並んでいる。そこには歴史がある。

 そして、ウォルトが<グラン・トリノ>の正当な相続人を見出したとき、イーストウッド作品が新たな次元へと踏み出すことになる。この映画では、ウォルトがどのようにして死者の声を聞くかではなく、死者としてその声をどのように生者に届けるのかが問題になっているからだ。それが歴史を取り戻したウォルトの懺悔であり、最後に<グラン・トリノ>を運転する少年は、その歴史を引き継いでいるのだ。

《参照/引用文献》
『「歴史」の体制』フランソワ・アルトーグ●
伊藤綾訳(藤原書店、2008年)

(upload:2010/02/15)
 
 
《関連リンク》
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