相続人
The Gingerbread Man


1997年/アメリカ/カラー/114分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:『相続人』劇場用パンフレット)

 

 

嵐のなかで泥沼にはまり、嵐によって救われる

 

 映画『相続人』の見所はまず何よりも、発表する小説が次々と映画化されて話題を呼ぶベストセラー作家ジョン・グリシャムのオリジナル・ストーリーをロバート・アルトマン監督がどう料理するかというところにあるといっていいだろう。アルトマンといえば、どんな題材を映画にしても独自のスタイルで見せかけの世界に揺さぶりをかけ、その背後にあるもうひとつの世界を見事に描きだしてしまうことで異彩を放つ才人であるからだ。

 特に90年代のアルトマンは、得意とする群像劇を通して見せかけの世界とその裏側をユーモアを交えて洞察する眼差しに磨きがかかり、円熟味を増している。『ザ・プレイヤー』や『プレタポルテ』に描かれるハリウッドの映画界やファッション界はそんな彼にとって格好の題材だったといえるが、『ショート・カッツ』などを観ると、そうした見せかけの世界へのこだわりというものがもっと日常的な題材にもしっかりと埋め込まれていることがよくわかる。

 この映画にはロスの郊外に暮らす様々な家族のドラマが描かれるが、その登場人物たちの職業が興味深い。テレビのニュース解説、映画のメイクアップ、ピエロに扮装する出張サービス、画家、あるいはテレホン・セックスのバイトなど、見せるとか演じるという行為で成り立つ仕事が目立ち、その行為がドラマにも密接に結びついていく。つまり登場人物の誰もが見せかけの世界に左右される上に、緻密な映像のコラージュのなかで本物と偽物の肉体や生と死が瞬時に転倒し、現実感が揺らぐ危うい世界が描きだされるのだ。

 しかもアルトマンが巧みなのは、映画の冒頭に害虫駆除のための薬剤散布という設定で、ロス上空に戦場を思わせるようなヘリの編隊を旋回させ、目に見えない境界線で空間を限定してしまい、そこがある種のステージであるかのように見せかけの世界を強調する。その効果は最後にはっきりと現れる。映画のラストにはロス大地震が起こり、魔法がとけたようにこの境界線が消え、観客は現実世界に引き戻される。そしてそれぞれに自分がどんな世界を生きているのか振り返ることになる。

 『相続人』はアメリカ南部の街サバナを舞台に辣腕弁護士が活躍するグリシャムらしい設定の物語だが、そんなアルトマンが監督しただけあってやはり他のグリシャム原作の映画化とはひと味もふた味も違う作品になっている。

 またこの映画は、しばらく前に公開された同じサバナを舞台とするクリント・イーストウッド監督の『真夜中のサバナ』と比較してみても面白い。あの映画では、サバナで開かれる華麗なクリスマス・パーティを取材に来たジャーナリストが、パーティの夜に響いた銃声に隠された真実を追ってブードゥー信仰などが根強く残るゴシック的な迷宮に引き込まれ、善や悪で割り切ることのできない人間の心の闇を垣間見ることになる。


◆スタッフ◆
 
監督   ロバート・アルトマン
Robert Altman
脚本 アル・ヘイズ
Al Hayes
オリジナル・ストーリー ジョン・グリシャム
John Grisham
撮影 クー・チャンウェイ
Changwei Gu
編集 ジェラルディン・ペローニ
Geraldine Peroni
音楽 マーク・アイシャム
Mark Isham
 
◆キャスト◆
 
リック・マグルーダー   ケネス・ブラナー
Kenneth Branagh
マロリー・ドス エンベス・デイヴィッツ
Embeth Davidtz
クライド・ペル ロバート・ダウニーJr.
Robert Downey,Jr.
ロイス・ハーラン ダリル・ハンナ
Daryl Hannah
ディクソン・ドス ロバート・デュヴァル
Robert Duvall
ピート・ランドル トム・ベレンジャー
Tom Berenger
リアン ファムケ・ジャンセン
Famke Janssen
-
(配給:日本ヘラルド映画)
 

 『相続人』の世界も舞台が同じで、しかもアルトマンが見せかけの世界とその裏側にこだわる監督であるだけに『真夜中のサバナ』に通じるものがあるが、サバナの世界を切り取る彼の話術は実にユニークである。特にサバナの街を襲うハリケーンが、『ショート・カッツ』の薬剤散布や大地震に似た役割を果たしてしまうところが何ともアルトマンらしい。

 この映画の冒頭ではまず、主人公リックの真っ赤なメルセデスの快走や彼の勝利を伝えるテレビのニュース映像を通して、8年間負け知らずの辣腕弁護士のパブリックなイメージが観客に印象づけられる。しかし、ハリケーン襲来の最中に開かれたパーティで別れた妻とその恋人に出会った彼の気持ちは揺らぎ、どしゃ降りのなかでマロリーと関係するきっかけが生まれ、悪夢が始まる。そんな展開からアルトマンは、主人公リックの見せかけと実体のズレを鋭く描きだしていく。

 家族のことを顧みることなく法曹界だけを自分の居場所として突っ走ってきた彼は、ある意味で見せかけの世界にどっぷりと漬かっていることになる。そんな彼がマロリーに深入りしていくのは、彼女がカルト教団に属している父親からの執拗なストーキングに悩まされていることと、自分自身が子供たちに父親らしいことをしていない負い目が微妙に結びついているためだ。

 もちろん彼は、現実問題としてはあくまで自分の土俵である法律の力でマロリーを救うことができると信じ込んでいる。しかし、そんな法律の効力が通用しないことを思い知らされ、自分の見せかけの世界が崩壊してしまったとき、彼は南部のおどろおどろしいゴシック的な世界のなかで孤立していく。マロリーの見せかけの姿に完全に操られ、衝動的な行動に出て取り返しのつかない状況へと追い込まれるのだ。

 こうした展開は、心理描写も緻密で、緊迫感あふれるサスペンス・スリラーになっているが、この映画が魅力的なのは、ただそれだけで終わってしまわないことだ。このドラマには“ジンジャーブレッド・マン”の寓話が象徴的に盛り込まれ、映画の原題にもなっているが、嵐で始まり、Uターンしてきたハリケーンの嵐のなかで決着をみることになる映画全体もひとつの寓話になっている。

 華やかな法曹界で見せかけの世界を生きてきた主人公は、嵐をきっかけとしてこれまでの彼には縁のなかった社会の底辺に蠢く人々と出会い、悪夢のような南部のゴシック的世界の餌食になりかけるが、(マロリーが照明弾の狙いを外すことで)同じ嵐に救われることになる。

 そんな人間以外の力がドラマに大きく作用しているだけに、この映画は嵐が過ぎ去り事件が解決したからといってそれで一件落着という感じがしない。そこでこのリアルな寓話を反芻していくと、そこからは善と悪で単純に割り切ることができない心の闇が見えてくるのだ。


(upload:2011/01/09)
 
 
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