『相続人』の世界も舞台が同じで、しかもアルトマンが見せかけの世界とその裏側にこだわる監督であるだけに『真夜中のサバナ』に通じるものがあるが、サバナの世界を切り取る彼の話術は実にユニークである。特にサバナの街を襲うハリケーンが、『ショート・カッツ』の薬剤散布や大地震に似た役割を果たしてしまうところが何ともアルトマンらしい。
この映画の冒頭ではまず、主人公リックの真っ赤なメルセデスの快走や彼の勝利を伝えるテレビのニュース映像を通して、8年間負け知らずの辣腕弁護士のパブリックなイメージが観客に印象づけられる。しかし、ハリケーン襲来の最中に開かれたパーティで別れた妻とその恋人に出会った彼の気持ちは揺らぎ、どしゃ降りのなかでマロリーと関係するきっかけが生まれ、悪夢が始まる。そんな展開からアルトマンは、主人公リックの見せかけと実体のズレを鋭く描きだしていく。
家族のことを顧みることなく法曹界だけを自分の居場所として突っ走ってきた彼は、ある意味で見せかけの世界にどっぷりと漬かっていることになる。そんな彼がマロリーに深入りしていくのは、彼女がカルト教団に属している父親からの執拗なストーキングに悩まされていることと、自分自身が子供たちに父親らしいことをしていない負い目が微妙に結びついているためだ。
もちろん彼は、現実問題としてはあくまで自分の土俵である法律の力でマロリーを救うことができると信じ込んでいる。しかし、そんな法律の効力が通用しないことを思い知らされ、自分の見せかけの世界が崩壊してしまったとき、彼は南部のおどろおどろしいゴシック的な世界のなかで孤立していく。マロリーの見せかけの姿に完全に操られ、衝動的な行動に出て取り返しのつかない状況へと追い込まれるのだ。
こうした展開は、心理描写も緻密で、緊迫感あふれるサスペンス・スリラーになっているが、この映画が魅力的なのは、ただそれだけで終わってしまわないことだ。このドラマには“ジンジャーブレッド・マン”の寓話が象徴的に盛り込まれ、映画の原題にもなっているが、嵐で始まり、Uターンしてきたハリケーンの嵐のなかで決着をみることになる映画全体もひとつの寓話になっている。
華やかな法曹界で見せかけの世界を生きてきた主人公は、嵐をきっかけとしてこれまでの彼には縁のなかった社会の底辺に蠢く人々と出会い、悪夢のような南部のゴシック的世界の餌食になりかけるが、(マロリーが照明弾の狙いを外すことで)同じ嵐に救われることになる。
そんな人間以外の力がドラマに大きく作用しているだけに、この映画は嵐が過ぎ去り事件が解決したからといってそれで一件落着という感じがしない。そこでこのリアルな寓話を反芻していくと、そこからは善と悪で単純に割り切ることができない心の闇が見えてくるのだ。
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