この「スイッチ3:エンスト」を観て、スティーヴン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)を思い出すのは筆者だけではないだろう。『激突!』は、偶然に出会う2台の車をめぐるスリラーの手本になっている。だから、この映画と比較し、似た設定からどれだけ異なるドラマや状況を生み出しているかで、ダミアン・ジフロン監督の技量がわかる。
『激突!』では、主人公の平凡なビジネスマンが前方をのろのろ走るタンクローリーに苛立ち、強引に追い越したことから、タンクローリーに追いつめられていくことになる。この主人公は最初はタンクローリーを見下しているが、状況の深刻さに気づくと恐怖にとらわれ、警察にも頼れないとわかると独力で必死に活路を見出そうとする。
「スイッチ3:エンスト」の場合、トラブルになるきっかけは共通しているが、そこからいろいろ異なる展開を見せる。一般的にはこうした設定では車を走り回らせたくなるものだが、ジフロン監督はそれをしない。橋のたもとに2台の車が前後して停車するという状況をひねり出し、緊張関係を生み出していく。実は『激突!』には、踏切で列車の通過を待つ主人公の車を、背後から来たタンクローリーが体当たりで線路に押し出そうとする場面がある。ジフロン監督は、このエピソードでそんな場面に秘められた可能性を大胆に押し広げている。
『激突!』では、ホワイトカラーとブルーカラーの間にある溝が象徴的に表現されていたが、このエピソードでは格差社会がより深刻な問題になっている現代に相応しく、強烈なブラック・ユーモアで浮き彫りにされる。主人公からバカにされたポンコツ車の運転手は、新車のボンネットに仁王立ちになり、これ以上ない屈辱を彼に与える。一方、主人公にはトラブルから抜け出す機会がありながら、怒りが収まらず泥沼にはまってしまう。こんな奴になめられてたまるかという双方の思いが、負のスパイラルを生み出していく。
しかし、スパイラルの原因になるのは感情だけではない。そこが人と車の関係の興味深いところだ。車に乗っていれば自分は安全なのだという錯覚が、トラブルの元になるような軽率な行動に繋がる。人と車が一体になっているから、怒りが一瞬にして殺意に等しい行動にエスカレートする。逆に見れば、一体になっているからこそ、車もろとも安全が一瞬にして危機的な状況に変わる。しかもそれだけではまだ決着がつかず、車が逃げ場のない檻のような空間に変わり、死闘が繰り広げられる。そして、最後に駆けつけた警察官たちが、人と車の関係にまったく違う解釈を下すところにも痛烈な皮肉が込められている。 |