筆者の記憶が正しければ、イヴ・K・セジウィックは『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』のなかで、女性の場合には、ホモソーシャルな関係とホモセクシュアルの間に男性の場合ほどの溝がないというようなことを書いていたと思います。
そう考えると、この『ブエノスアイレスの殺人』では、女性監督メタが、アニー・プルーの視点を引き継いで、男同士の関係におけるホモソーシャル=ホモフォビアの図式を覆していることにもなります。
さらに、80年代のブエノスアイレスという背景とドラマの関係にも興味を覚えます。国民の大半がヨーロッパ人とその子孫で占められているアルゼンチンは、マルビナス戦争(フォークランド紛争)でヨーロッパがイギリスを支援し、敗北したことによって、アイデンティティをめぐって精神的にも打撃を受けました。このドラマには、そんな揺らぎがセクシュアリティに置き換えられて表現されていると見ることもできるでしょう。
そしてもうひとつ、チャベスの同僚であるドロレスが、不自然なほど過剰にセクシーな女性として描かれていることも見逃せません。筆者は、女性監督ナタリア・スミルノフの『幸せパズル』(10)のレビューで、アルゼンチンにおけるマチスモについて、国本伊代・編『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』から以下のような文章を引用しました。
「こうした人種構成は女性をとりまく社会状況にも影響を及ぼし、アルゼンチンでは先住民社会からの女性をめぐる思想や価値体系の伝承はほとんど見受けられず、それに代わって根強く継承されてきたのが旧植民地本国スペインによる女性観であった。その一つは女性に対する男性の肉体的優位と、男性に対する女性の恭順を是とする男尊女卑の思想マチスモ、そしてもう一つはカトリックの聖母マリアを理想像とし、その母性ゆえに女性が男性に対して精神的優位性をもつとする思想マリアニスモである。この二つの女性観が継承される中、女性は男性より劣った存在で、男性に服従、奉仕するものとして処遇される社会構造がつくり出され、それと同時に、家庭においては、自己犠牲もいとわず家庭を守り慈しむ無私の母性愛を高く評価する価値観が定着していったのである」
メタ監督はこの映画で、「マチスモ」と「マリアニスモ」を大胆に覆していると見ると、ドラマがより興味深く思えてきます。 |