いまやアメリカ文学界に独自の地位を築き上げた観のある作家バリー・ギフォード。彼が『ワイルド・アット・ハート』のカップルのその後を描いた『セイラーズ・ホリデイ』には、「気温59°、雨/ペルディータ・ドゥランゴの物語」という中編が収められている。
ペルディータとは、映画版『ワイルド・アット・ハート』でイザベラ・ロッセリーニが演じていたあの妖しく危険な女であり、このキャラクターが気に入ったギフォードは、彼女を主人公にしてこの中編を書いた。アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の『ペルディータ』は、その中編を映画化した作品だ。
この映画でまず注目したいのは、原作者ギフォードと監督であるスペイン映画界の異才イグレシアの顔合わせだ。ギフォードと映画といえば、すぐにデイヴィッド・リンチの名前が出てくるが、筆者は、彼らの感性には明らかに異質な部分があると思う。
リンチの特異な感性が常に人間の内面へと向かい、世界との不可解な繋がりを描きだすのに対して、ギフォードは政治、宗教、文化的な土壌などの具体的な要素を大胆に作品に取り込み、アメリカを挑発しようとする。その違いは『Night People』『Arise and Walk』『Baby Cat-Face』といった『セイラーズ・ホリデイ』以後の作品で際立っている。
南部を舞台とするこれらの小説には、キリスト教原理主義や様々な新興宗教、人種差別、レイプや幼児虐待、エイズ、フェミニズム、貧困などが盛り込まれ、そんな社会のなかで登場人物たちは妄執や狂信にとらわれ、皮肉で奇妙なドラマを繰り広げる。
前科者のふたりの女たちは、女のキリストを信奉し、男たちを儀式の生け贄にすることによって魂を男の世界から解放しようとする。妊娠中絶医(abortionist)の女は、19世紀の奴隷制廃止論者(abolitionist)に傾倒し、彼に抱かれる幻想に浸る。生活苦のために売られたメキシコ人の少女は、予知能力があることに気づき、やがてアメリカ人にも崇拝されるテレビ伝道師となる。州知事の椅子を狙う御曹司は、その伝道師を抱き込もうとする。
映画『手錠のままの脱出』の主人公を気取って脱獄した白人と黒人のコンビは、お互いが属している教団や組織の指導者を交換殺人で消すことを企み、聖母マリア・レイプ相談センターの一員となった娘は、レイプで逮捕された兄に銃弾で私的な裁きを加える。
登場人物たちのこうした妄執や狂信は世界を侵蝕し、その基盤を揺るがし、読者に奇妙な覚醒をうながす。そして、イグレシア監督の前作『ビースト 獣の日』にもまったく同じことがいえる。
黙示録を解読し、反キリストの誕生を阻止しようとするカトリックの神父は、悪魔に出会うために悪事を重ね、デスメタルにメッセージを求め、テレビのオカルト番組のホストとして人気の自称予言者に無理やり協力を求める。巷には“マドリッド浄化”と称して殺戮を繰り広げる狂信者集団やノストラダムスの予言を信奉する教団が跳梁しているが、この神父の妄執はそれを凌駕し世界を侵蝕し、結果的に黙示録的なヴィジョンすら消費し尽くす社会を痛烈に風刺する。
そんな作家と監督が手を組んでしまうのだから、この『ペルディータ』が面白くないはずはない。イグレシアは、原作以上にアメリカとメキシコの境界にこだわり、主人公のカップルにとりつく妄執や狂信を、強烈なイメージ、色彩、音楽で浮き彫りにしていく。 |