幸せパズル
Rompecabezas / Puzzle  Rompecabezas
(2009) on IMDb


2010年/アルゼンチン=フランス/スペイン語/カラー/90分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:『幸せパズル』劇場用パンフレット)

 

 

マチスモの世界の中で、
主婦・マリアが求めたもの、見つけたもの

 

 ラテンアメリカ社会における女性の立場や男女の関係に少なからぬ影響を及ぼしているのがマチスモの伝統だ。マチスモとはどのようなものなのか。国本伊代・編『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』では、その意味や現状が以下のように説明されている。

ラテンアメリカ文化の特質ともされてきたマチスモとは、動物のオスを意味するマチョから発生した言葉であり、男性優位主義の思想に基づく行動および思考を指している。「弱き女性」を守る「男らしさ」や「たくましさ」を意味する言葉として肯定的に使用されることもあるが、近年では暴力的な「男性性」の「横暴さ」を表わす側面の方が強い

 但し、ひと口にマチスモの伝統といっても、それぞれの国の成り立ちによって違いがある。たとえば、アルゼンチンの場合には、国民の大半がヨーロッパ人とその子孫で占められていることが、独自の女性観に結びついている。

こうした人種構成は女性をとりまく社会状況にも影響を及ぼし、アルゼンチンでは先住民社会からの女性をめぐる思想や価値体系の伝承はほとんど見受けられず、それに代わって根強く継承されてきたのが旧植民地本国スペインによる女性観であった。その一つは女性に対する男性の肉体的優位と、男性に対する女性の恭順を是とする男尊女卑の思想マチスモ、そしてもう一つはカトリックの聖母マリアを理想像とし、その母性ゆえに女性が男性に対して精神的優位性をもつとする思想マリアニスモである。この二つの女性観が継承される中、女性は男性より劣った存在で、男性に服従、奉仕するものとして処遇される社会構造がつくり出され、それと同時に、家庭においては、自己犠牲もいとわず家庭を守り慈しむ無私の母性愛を高く評価する価値観が定着していったのである」(前掲同書)

 ナタリア・スミルノフ監督の『幸せパズル』の導入部は、アルゼンチンで継承されてきたそんな女性観を想起させる。主婦マリアは、自分の50歳の誕生日を祝うためにひとりでたくさんの料理を作り、家に集まった親戚や友人たちをもてなす。この場面では、息子の恋人が給仕に追われるマリアを手伝おうとするが、彼女はあくまでひとりで切り盛りしようとする。それはなぜなのか。おそらくマリアには家庭生活のなかで、自分で決定し、仕切れる領域が料理しかないのだろう。そして何事もなければ、彼女は料理をささやかな心の支えとして、男たちや家庭に奉仕し、齢を重ねていくはずだ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ナタリア・スミルノフ
Natalia Smirnoff
撮影 バルバラ・アルバレス
Barbara Alvarez
編集 ナターシャ・バレルガ
Natacha Valerga
音楽 アレハンドロ・フラノフ
Alejandro Franov
 
◆キャスト◆
 
マリア・デル・カルメン   マリア・オネット
Maria Onetto
夫フアン ガブリエル・ゴイティ
Gabriel Goity
ロベルト アルトゥーロ・ゴッツ
Arturo Goetz
義母ガルロッタ ヘニー・トライレス
Henny Trailes
次男フアン・パブロ フェリペ・ビリャヌエバ
Felipe Villanueva
長男イバン フリアン・ドレゲール
Julian Doregger
ラクエル ノラ・ジンスキー
Nora Zinsky
スサーナ マルセラ・グエルティー
Marcela Guerty
グラシエラ ミルタ・ウォンス
Mirta Wons
-
(配給:ツイン)
 
 
 

 しかし、決まりきった生活に変化が訪れる。それは、マリアがジグソーパズルの才能に目覚めることだけを意味するのではない。注目しなければならないのは料理だ。息子と恋人は勝手にベジタリアンのメニューを取り入れるようになる。夫のフアンも料理に不満をもらし、食事療法を始める。もはや料理も彼女が仕切れる領域ではなくなり、家庭のなかに居場所が失われていく。だからこそ余計にパズルに傾倒するようになる。

 このパズルと料理の結びつきは実に効果的だ。この一家はマチスモというものを意識して日常生活を送っているわけではない。ところが、パズルと料理をめぐって家族のあいだに感情的なズレが生じるようになると、彼らの生活に浸透したマチスモが炙り出されてくるのだ。たとえば、マリアからパズルの選手権のことを打ち明けられたフアンが思わず笑い出す場面には、それがよく表われている。ふたりの息子たちは、自活の道やインドへの旅など、自分たちの未来を勝手に決めようとしているのに、マリアの情熱や選択はまともに受け止められることもない。

 男性である筆者の目から見ても、マリアがそんな夫に怒りを感じるのは当然である。彼女が家族を捨てて、ロベルトのもとに走ったとしても不思議はない。しかし、スミルノフ監督が強い関心を持っているのは、必ずしもそんな男女の関係の問題ではない。彼女は、マチスモの世界における女性の在り方そのものを掘り下げ、メッセージを発信しているように思える。

 マリアのような主婦は、マチスモを基盤とするような社会構造に気づかぬうちに取り込まれている。そんな女性にとってジグソーパズルは、自分を再構築、再発見するメタファーになる。最初に叔母から贈られるパズルがネフェルティティのものであることも興味深い。マリアはこのエジプトの女王の存在に魅了されるように、自分自身に目を向け、自己の感性に目覚めていく。

 この映画の冒頭と終盤でマリアは二度祝福されるが、その意味はまったく対照的だ。冒頭で50歳の誕生日を祝福される彼女は、母性愛には満ちているが、突き詰めれば自分の顔を持たない、交換可能な存在である。一方、終盤でパズルの全国大会の優勝者として家族から祝福される彼女は、妻や母という立場に縛られない、独立した揺るぎない世界を持っている。彼女が必要としていたのは、自分の顔、自分の世界、自分の喜びなのだ。

《参照/引用文献》
『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』国本伊代・編●
(新評論、2000年)

(upload:2012/02/17)
 
 
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