ルイーサ
Luisa


2008年/アルゼンチン=スペイン/カラー/110分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:未発表)

喪に服すことで切り拓かれる新しい人生

 ゴンサロ・カルサーダ監督の『ルイーサ』の主人公は、ブエノスアイレスの都心のアパートにひとりで暮らす60歳の女性ルイーサだ。彼女は、時間厳守で単調な日課を繰り返している。

 腹をすかせた猫のティノに起こされ、7時半にはバスに乗り、勤続30年の“安らぎ霊園”で電話番をする。午後3時半きっかりにその職場を出て、往年のスター女優クリスタル・ゴンサレスの家で家事手伝いをこなし、その後はまっすぐに帰宅する。彼女はまったく感情を表に出すことがなく、洋服も毎日同じ取り合わせだ。

 ところがある日、ティノが死に、初めて職場に遅刻し、そしてふたつの仕事を同時に失う。霊園の二代目社長が始めた職場の改革によって、解雇を言い渡される。ゴンサレスは芸能界を引退して田舎で暮らすことに決め、家事手伝いも不要になってしまった。呆然とするルイーサは、家族同然だったティノを埋葬しようとするが、手元に残っているのはわずか20ペソで、埋葬費用の300ペソすら払うことができない。

 この映画は、市場主義や経済危機を背景に、どん底からはい上がっていくヒロインの姿を描く作品のように見えるが、もうひとつ重要なテーマが埋め込まれている。それは、「喪に服す」という内面的な作業の意味を掘り下げることだ。

 ルイーサは過去に夫と娘をいっしょに亡くしている。その悲劇については具体的なことはなにも語られないが、彼女の生活にはその影響がふたつのかたちで表れている。彼女が機械のように規則正しい生活を送るのは、何も考えないようにするためだ。しかし、そんな彼女は毎晩のように悪夢にうなされる。過去の悲劇や死者に呪縛されているからだ。

 この映画は、喪に服すことの意味を掘り下げた他の作品と比較してみると、その魅力が明確になるだろう。

 たとえば、トマ・ドゥティエール監督のベルギー映画『心の羽根』では、スモールタウンに暮らす主婦ブランシュが、5歳の息子の事故死という悲劇に見舞われる。そんな彼女は、葬儀を終えても死を受け入れられず、息子が死んだ沼地に入り浸り、彼の幻影と過ごすようになる。

 喪に服すことができないブランシュは、現実を見失っていく。だが、沼地に入り浸っているのは彼女だけではなかった。傍目にはバード・ウォッチャーに見える孤独な若者が、自然のなかで実験と称して密かに自分に様々な試練を課している。そんなふたりの出会いが、やがて喪に服すという儀式に繋がっていく。


◆スタッフ◆
 
監督   ゴンサロ・カルサーダ
Gonzalo Calzada
脚本 ロシオ・アスアガ
Rocio Azuaga
撮影 アベル・ペニャルバ
Abel Penalba
編集 アレハンドロ・ナルバエス、パブロ・ペレス
Alejandro Narvaez, Pablo Perez
楽曲 スーペル・チャランゴ
Supercharango
 
◆キャスト◆
 
ルイーサ   レオノール・マンソ
Leonor Manso
オラシオ ジャン・ピエール・レゲラス
Jean Pierre Reguerraz
ホセ マルセロ・セレ
Marcelo Serre
クリスタル・ゴンサレス エセル・ロッホ
Ethel Rojo
ヒルダ ヴィクトリア・カレーラス
Victoria Carreras
-
(配給:Action Inc.)
 
 
 
 

 河P直美監督の『殯の森』も外せない。奈良県の山里にあるグループホームに暮らす認知症の老人しげきと新任の介護師の真千子は、それぞれに深い喪失感を抱えている。しげきは、33年前に亡くなった妻を想いつづけ、ふたりだけの世界を生き、真千子は、我が子の死にとらわれ、自分を責めている。

 しげきがホームを訪れた住職に問う「私は生きているんですか」という言葉が示唆するように、ふたりは生を実感することができない。しかし、しげきの妻の墓参りに出かけたふたりが、車のトラブルに見舞われ、森を彷徨いつづけるとき、そこは他界となり、彼らの心と身体は、死を媒介として生に目覚めていく。

 『ルイーサ』の物語も『心の羽根』や『殯の森』と似た構造を持っている。ルイーサもまた現実を拒み、生を実感することもないまま日々を過ごしていた。そんな彼女は、これまでとは違う空間に踏み込み、他者と出会い、変化していく。但し、この映画の場合には、ユーモアがふんだんに盛りこまれている。

 『心の羽根』の沼地や山中他界観を想起させる『殯の森』のように、主人公が引き込まれる異界や他界は、しばしば自然と結びつけられるが、『ルイーサ』のそれはまったく違う。バスが故障したために仕方なく利用する地下鉄が異界となるのだ。

 地下鉄の階段を下りる彼女の不安な表情は、過去の悲劇となにか関係しているのかもしれない。そんな彼女は、券売機や検札機、ホームに進入する車両や人の波におののく。だが、その体験が金を稼ぐヒントにもなる。地下鉄でカード売りや物乞いを始めるのだ。

 この地下鉄の空間におけるドラマは、ふたつの意味を持っている。ひとつは、他人を押しのけてでも稼ごうとしていた彼女が、物乞いの男オラシオに次第に心を開き、新たな関係を構築し、生を実感していくことだ。それは同時に、家族の死者を受け入れていくことも意味する。つまり、内面的な喪の作業に繋がる。猫のティノを葬ろうとすることは、最終的に夫や娘の喪に服すことと等しいものになり、それが明けたとき新たな人生が始まるのだ。


(upload:2010/10/11)
 
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