そして、実話に基づく新作『エル・クラン』にも、そんなトラペロならではの視点と表現が引き継がれている。物語は、アルゼンチンが軍事独裁制から民主制へと移行していく80年代前半を背景にしている。しかし、軍事政権で要職に就いていたアルキメデス・プッチオは、そんな社会の変化を受け入れようとはせず、軍事政権でやってきたことを今度は金目当てに繰り返していく。
トラペロは、例によって背景や主人公の過去に関する説明的な要素を最小限にとどめ、アルキメデスとアレハンドロを中心に、プッチオ一家の生活や行動を追っていく。そんなドラマのなかで、まず強烈な印象を残すのは、アルキメデスが皿に持った肉料理を2階の奥の部屋まで運んでいく場面だろう。疲れている母親をいたわり、息子や娘と短く言葉を交わす彼はよき父親のように見える。ところが、奥の部屋の扉を開けると、そこには若者が監禁され、恐怖のあまり錯乱しそうになっている。それはまさにシュールであると同時にリアルな世界である。
しかし、この映画にはこれまでの作品とは異なる魅力も感じる。それはプッチオ一家の関係についての独自の(ものではないかと思われる)解釈だ。誘拐ビジネスにアレハンドロまで巻き込んだ父親は、標的としてなぜ息子の友人であるリカルドを選んだのか。息子に激しいショックを与えたくなければ、無関係の人間を選ぶだろう。しかし、この父親はそんなに甘くない。彼はアレハンドロが二度と後戻りできないようにリカルドを選んだ。その一線を越えてしまえば、アレハンドロが自分に絶対服従するようになると考えたのだろう。
それに関連して、もうひとつ注目したくなるのが、父親とマギラの関係だ。マギラが家を出た理由は定かではない。だが、軍事政権の申し子のようなアルキメデスにとって、息子たちがラグビーでスターになり、勝手に独立するのは許しがたい裏切りに違いない。そうなると、マギラが家を出て、父親の威厳だけでは足りないことを思い知ったアルキメデスが、絶対服従の関係を揺るぎないものにするための計画を立てることも頷けてくる。さらに、母親の行動も見逃せない。彼女は、アレハンドロがもう重圧に耐えられないと見るや、マギラを呼び戻すように指示する。この母親は女性として、父親が体現する軍事主義を補完する役割をしっかりと果たしていることになる。
パブロ・トラペロ監督はこの映画で、単なる誘拐ビジネスではなく、軍事主義が家族をどのように支配し、ついには崩壊に追いやるのかを独特の話術で巧みに描き出している。
※ここにアップしたのは劇場用パンフレットに寄稿したレビューですが、「ニューズウィーク日本版」の筆者コラム「映画の境界線」でも異なる切り口で本作を取り上げています。その記事をお読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。
● 誘拐事件を繰り返し裕福な生活をしていた、アルゼンチン家族の闇 | 『エル・クラン』 |