エル・クラン
El Clan


2015年/アルゼンチン/カラー/110分/スコープサイズ
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(初出:『エル・クラン』劇場用パンフレット)

 

 

アルゼンチン社会の隠れた現実を
炙り出す異才パブロ・トラペロ

 

 『檻の中』(08)、『ハゲ鷹と女医』(10)、『ホワイト・エレファント』(12)がカンヌ国際映画祭で上映され、新作『エル・クラン』がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝く。アルゼンチン出身のパブロ・トラペロ監督は、日本での認知度は高くはないが、その作品が世界的な注目を集めている。

 トラペロは、一般にあまり知られていないアルゼンチン社会の影の部分を、現実とフィクションを織り交ぜて描き出してきた。そのスタイルは、マイケル・ウィンターボトムに通じるものがある。物語に頼らず、説明的な要素を最小限にとどめ、予期せぬ出来事によって苦境に立たされた主人公に迫り、状況と人物の関係を掘り下げていく。そんなドラマからは、シュールであると同時にリアルでもある独特の世界が浮かび上がる。あるいは、善悪の境界など、既成の価値観が揺らいでいくことになる。

 『檻の中』のヒロインは、ある朝目覚めると、部屋にふたりの血まみれの男たちが横たわっている。何が起こったのか思い出せないまま逮捕された彼女は、妊娠していたことから妊婦や幼児を抱える母親専用の特別房に収監される。そんな導入部であれば、事件の真相や父親の問題が物語に絡んできてもおかしくないが、トラペロは、やがて出産し、母親となるヒロインの変化を追っていく。エキストラには本物の収容者が起用され、社会の底辺の現実が垣間見える。檻のなかの母子の日常は、シュールにしてリアルでもあり、そんな世界がヒロインの意識を大きく変えていくことになる。

 『ハゲ鷹と女医』では、交通事故の被害者を食いものにし、賠償金を横取りしている詐欺師が主人公になる。かつてはまともな弁護士で、何らかの事情で詐欺集団に属することになった彼は、救急救命に携わる若い研修医と出会い、恋に落ち、心を入れ替えようとする。この映画でもそんな主人公の過去にはほとんど触れられず、泥沼から抜け出そうともがく姿が描かれる。だが、警察までグルになった深い闇は彼らを確実に追いつめていく。

 『ホワイト・エレファント』では、ブエノスアイレス郊外のスラムを舞台に、過酷な生活を強いられる人々を救おうと奔走するふたりの神父の葛藤が浮き彫りにされる。この映画で特に注目しておきたいのはタイトルだ。それは、舞台となる本物のスラムの背後にそびえる巨大な建造物のことを意味している。1930年代に南米最大級の病院を目指して着工され、その後の政変で無惨な廃墟となったこの建物は、人々を翻弄する不安定な社会を象徴しているといえる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   パブロ・トラペロ
Pablo Trapero
製作 ペドロ・アルモドバル
Pedro Almodovar
脚本 ジュリアン・ロヨラ
Julian Loyola
撮影 ジュリアン・アペステギア
Julian Apezteguia
編集 アレハンドロ・カリーリョ
Alejandro Carrillo
音楽 セバスチャン・エスコフェ
Sebastian Escofet
 
◆キャスト◆
 
アルキメデス・プッチオ   ギレルモ・フランセーヤ
Guillermo Francella
アレハンドロ・プッチオ ピーター・ランサーニ
Peter Lanzani
エピファニ・プッチオ リリー・ポポウィッチ
Lili Popovich
マギラ・プッチオ ガストン・コッチャラーレ
Gaston Cocchirale
シルビア・プッチオ ジセル・モッタ
Giselle Motta
ギジェルモ・プッチオ フランコ・マシニ
Franco Masini
アドリアナ・プッチオ アントニア・ベンゴエチェア
Antonia Bengoechea
モニカ ステファニア・コエッセル
Stefania Koessl
-
(配給:シンカ)
 

 そして、実話に基づく新作『エル・クラン』にも、そんなトラペロならではの視点と表現が引き継がれている。物語は、アルゼンチンが軍事独裁制から民主制へと移行していく80年代前半を背景にしている。しかし、軍事政権で要職に就いていたアルキメデス・プッチオは、そんな社会の変化を受け入れようとはせず、軍事政権でやってきたことを今度は金目当てに繰り返していく。

 トラペロは、例によって背景や主人公の過去に関する説明的な要素を最小限にとどめ、アルキメデスとアレハンドロを中心に、プッチオ一家の生活や行動を追っていく。そんなドラマのなかで、まず強烈な印象を残すのは、アルキメデスが皿に持った肉料理を2階の奥の部屋まで運んでいく場面だろう。疲れている母親をいたわり、息子や娘と短く言葉を交わす彼はよき父親のように見える。ところが、奥の部屋の扉を開けると、そこには若者が監禁され、恐怖のあまり錯乱しそうになっている。それはまさにシュールであると同時にリアルな世界である。

 しかし、この映画にはこれまでの作品とは異なる魅力も感じる。それはプッチオ一家の関係についての独自の(ものではないかと思われる)解釈だ。誘拐ビジネスにアレハンドロまで巻き込んだ父親は、標的としてなぜ息子の友人であるリカルドを選んだのか。息子に激しいショックを与えたくなければ、無関係の人間を選ぶだろう。しかし、この父親はそんなに甘くない。彼はアレハンドロが二度と後戻りできないようにリカルドを選んだ。その一線を越えてしまえば、アレハンドロが自分に絶対服従するようになると考えたのだろう。

 それに関連して、もうひとつ注目したくなるのが、父親とマギラの関係だ。マギラが家を出た理由は定かではない。だが、軍事政権の申し子のようなアルキメデスにとって、息子たちがラグビーでスターになり、勝手に独立するのは許しがたい裏切りに違いない。そうなると、マギラが家を出て、父親の威厳だけでは足りないことを思い知ったアルキメデスが、絶対服従の関係を揺るぎないものにするための計画を立てることも頷けてくる。さらに、母親の行動も見逃せない。彼女は、アレハンドロがもう重圧に耐えられないと見るや、マギラを呼び戻すように指示する。この母親は女性として、父親が体現する軍事主義を補完する役割をしっかりと果たしていることになる。

 パブロ・トラペロ監督はこの映画で、単なる誘拐ビジネスではなく、軍事主義が家族をどのように支配し、ついには崩壊に追いやるのかを独特の話術で巧みに描き出している。

※ここにアップしたのは劇場用パンフレットに寄稿したレビューですが、「ニューズウィーク日本版」の筆者コラム「映画の境界線」でも異なる切り口で本作を取り上げています。その記事をお読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。

誘拐事件を繰り返し裕福な生活をしていた、アルゼンチン家族の闇 | 『エル・クラン』


(upload:2017/07/15)
 
 
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