1974年生まれで、俳優としてイギリスのみならずアメリカにも活動の場を広げてきたパディ・コンシダイン(主な出演作は、『24アワー・パーティ・ピープル』(02)、『イン・アメリカ 三つの願い事』(02)、『Dead Man’s Shoes』(04)、『シンデレラマン』(05)、『ボーン・アルティメイタム』(07)など)。
彼がアスペルガー症候群と診断されたのは36歳のときのことだった。ということは、それまでずっと原因もわからないままに、自分を取り巻く世界との溝やコミュニケーションの壁に苦しめられてきたことになる。
コンシダインのこの長編初監督作品には、そんな個人的な体験が反映されていると書けば、ジョセフという男のことを意味していると思われるだろう。確かに彼は、衝動を抑えられず、周囲に苛立ちをぶつけ、孤立している。しかしそれだけなら、労働者階級の世界を描くイギリス映画という枠組みに収まっていただろう。
もちろん、そういう枠組みでも優れた作品は撮れる。実際この映画では、ジョセフの親友の葬儀の場面で、労働者のコミュニティが漂わせる親密な空気が、そこに居合わせているかのように極めて自然にとらえられ、心を揺さぶられる。
だが、コンシダインは意識して枠組みを取り払おうとしている。それは、プレスに収められたインタビューの以下のような発言に現れている。
「手持ちカメラの美学は、特に社会派リアリズムのドラマではもう死んだと思っているんだ。僕は社会派リアリストじゃない。むしろアンチだ」
「この国で映画を作ろうとすると、僕たちは自分自身を有刺鉄線で巻いて制限してしまう。だから僕は、自分が作る作品が“小さな英国映画”ではないと思うことにした」
コンシダインが掘り下げるのは、ジョセフと、そして彼とは異なる世界で生きる中流の女性ハンナとの関係だ。そして信仰やアルコールに救いを求める彼女にも、間接的にコンシダインの体験が反映されているように思える。 |