『チャーミング・ガール』は、チョンヘという女性の内面の変化を、作り物のストーリーではなく、ディテールにこだわる映像によって繊細かつリアルに描き出した秀作である。
チョンヘは毎日、規則的な生活を送っているが、それは彼女が、几帳面な性格の持ち主だからではない。チョンヘには友だちと呼べる人もなく、同僚とも距離を置いているが、それは彼女が、人付き合いよりもひとりを好んでいるからではない。
ではなぜ彼女はそういう生活を送っているのか。そのヒントは、映画の導入部にある。彼女は、ある本を植木鉢の下敷きにしている。それは、かつて彼女がそうすることで、過去を封印しようとしたことを意味する。彼女は、過去を思い出さないようにするために、単調な生活を繰り返している。記憶というものは、何らかの変化をきっかけとして甦ってくるからだ。彼女は、テレビをつけたまま眠る。そうすれば、寝付く前や目覚めたときに、ふと考え事をしてしまうのを避けられるからだ。極端な言い方をすれば、彼女は過去も記憶もないロボットなのだ。
しかし、いままさにそんな生活にささやかな変化が訪れようとしている。彼女が、植木鉢の下敷きにしたのと同じ本を取り寄せるのは、単調な生活のなかで、過去を封印しよとした理由すらぼやけたものになっているからだ。だが、その本だけでは、変化は、小さな波紋で終わっていたかもしれない。
より重要なのは、彼女が猫を拾ってしまうことだ。彼女はこれまで自分の生活を完全にコントロールしてきた。しかし、子猫は決して彼女の思う通りにはならない。ソファの下に隠れてしまうこともあれば、餌にまったく口をつけないこともある。彼女は、自分ではないもののために、あれこれ考える。そしてそこから、他者と触れ合う感覚が甦ってくる。 主人公が、これまで目を背けてきた過去と向き合う物語は、決して珍しくはない。だが、そんな主人公の内面を、ここまで鋭く、緻密に掘り下げた作品は珍しい。
たとえば、この映画では、感覚の表現が際立っている。生活の変化によって、チョンヘのなかには、記憶だけではなく感覚が甦ってくる。母親が足の爪を切ってくれたときに、彼女が感じた光の眩しさや深爪の痛み。彼女は、単調な生活のなかで、感覚を失っていた。その感覚を取り戻すことは、生きていることの実感に繋がる。だから、彼女はテレビを流しっぱなしにしなくなる。しかし、一方では、靴屋の場面が物語るように、他者との距離にも敏感にならざるをえなくなる。 |