ガス・ヴァン・サント監督の『誘う女』は、実話がヒントになっている。それは、1990年に、高校の生徒指導を受け持つ22歳の女性教師が15歳の男子生徒をそそのかし、彼女の夫を殺害させたという事件だ。映画では、この実話をモチーフにして、テレビが大きくクローズアップされていく。
舞台はニューハンプシャーののどかな田舎町だ。ヒロインは「TVに映らなければ生きている意味がない」という単純で確固とした人生観の持ち主で、強引に地元テレビ局のお天気キャスターとなる。しかし彼女の夢は全国ネットであり、その野心を叶えるためにドキュメンタリーの対象として地元高校の落ちこぼれの3人の男女の取材を進めていく。
ところがそんなとき、レストランを経営し、彼女にメロメロだった夫が、妻を店に縛りつけようとする。そこで彼女は、色仕掛けで生徒をそそのかし、夫を殺そうと企む。
映画は、夫が殺害され、ヒロインに疑惑の目が向けられるところから始まり、テレビを絡めた巧みな構成によって登場人物の感情や欲望が事実をめぐって錯綜していく。
たとえば、映画の進行役となるのはヒロインであり、彼女はカメラに向かって断続的に独白を続ける。彼女がどんな状況で誰に向かって語りかけているのかは最後まで定かではなく、観客はある種の宙づり状態でこの世界に導かれる。
そこでこの独白に加わるのが、このスキャンダルで全国ネットのテレビに駆りだされた被害者と加害者の両親や取材を受ける被害者の姉の証言であり、さらにその先に浮かび上がるのが、これまたテレビを媒介とした田舎の茶番劇である。ヒロインはお天気キャスターになったものの、テレビの彼女を見つめるのは、夫のレストランに集まってお祭りのように拍手喝采を送る常連客と欲望のはけ口を求める落ちこぼれ高校生なのだ。
そして皮肉にも疑惑が浮上したとき、彼女は全国ネットのスターの仲間入りを果たす。この映画では、そんなふうにテレビを媒介として見ることと見られることの狭間で揺れる様々な感情が錯綜する構成によって世界が構築され、リアリティを曖昧な境界へと追いやっていく。
ヒロインは、この映画のラストで思わぬ展開から町外れにある氷結した湖で氷漬けにされることになる。そんな彼女の姿が、あたかもブラウン管の向こうに永久に封じ込められたかのような連想をさせるあたりに、このブラック・コメディの徹底ぶりと奇妙な浮遊感がある。 |