小説家を見つけたら
Finding Forrester  Finding Forrester
(2000) on IMDb


2000年/アメリカ/カラー/136分/シネスコ/ドルビーSDDS,SRD,SR
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(初出:「小説家を見つけたら」劇場用パンフレット)

 

 

魔法の国と現実のはざまで揺れる心

 

 『オズの魔法使』は、多くの人々が子供の頃に観て想像力を刺激され、いつまでも記憶に残る映画の1本だろう。それが映画監督ともなれば、この映画に何らかの愛着を持っていたとしても不思議ではない。

 子供の頃から映画マニアだったジョン・ウォーターズは、お気に入りの映画に『オズの魔法使』を挙げている。彼らしいのは、ドロシーがあの翼を持った猿たちがいる館に暮らせるというのに、なぜ家に戻るのか理解できないと語っていることだ。彼が監督した『デスペレート・リビング』は、被害妄想癖のある郊外の主婦が夫を殺し、モートヴィルという無法者たちの王国に逃げ込むブラック・コメディだが、 この王国のイメージは『オズの魔法使』がもとになっているそうだ。ちなみに、彼の『クライ・ベイビー』には”魔法の森”というテーマ・パークが出てくる。

 デイヴィッド・リンチ『ワイルド・アット・ハート』で、フィルム・ノワールと『オズの魔法使』を巧みに結びつけることによって、情熱と狂気が激しくせめぎあう悪夢のような世界を作り上げた。昨年から今年にかけてロングランを記録した『17歳のカルテ』でも、監督のジェームズ・マンゴールドは『オズの魔法使』を引用している。自分と似た苦悩を背負う仲間がいる病院は、ヒロインにとって魔法の国となる。 しかし病を受け入れてしまうことは突き詰めれば逃避であり、彼女は自分の意思で家に戻るしかないのだ。

 こうした『オズの魔法使』との結びつきで、筆者が最も興味をおぼえる監督といえば、それはガス・ヴァン・サントだ。彼がこの映画に愛着を持っていることは、初期の作品を観るとよくわかる。

 たとえば『ドラッグストア・カウボーイ』で、主人公ボブが盗み出したドラッグを試すと、青い空を紙でできたような動物や家、飛行機などが流れていく光景が見えてくる。これは、竜巻で家ごと巻き上げられたドロシーが、 窓の外をいろいろなものが飛び去るのを見る場面がもとになっているに違いない。『マイ・プライベート・アイダホ』では、主人公マイクの白昼夢のなかに、空から落ちてきた家が地面に激突する象徴的な映像が挿入される。これも、ドロシーを乗せたまま魔法の国に落下する家のイメージにインスパイアされたものだろう。そして、この新作『小説家を見つけたら』のエンディングに流れる主題歌には、 <虹の彼方に> が盛り込まれている。

 


◆スタッフ◆

監督
ガス・ヴァン・サント
Gus Van Sant
製作 ローレンス・マーク/ ショーン・コネリー/ ロンダ・トルフソン
Laurence Mark/ Sean Connery/ Rhonda Tollefson
脚本 マイク・リッチ
Mike Rich
撮影 ハリス・サヴィデス、A.C.E.
Harris Savides,A.C.E.
編集 ヴァルディス・オスカルスドッティア
Valdis Oskarsdottir

◆キャスト◆

フォレスター
ショーン・コネリー
Sean Connery
ジャマール ロブ・ブラウン
Rob Brown
クローフォード教授 F・マーリー・エイブラハム
F.Murray Abraham
クレア アンナ・パキン
Anna Pakin
テレル バスタ・ライムス
Busta Rhymes
サンダーソン マット・デイモン
Matt Damon
 
 
 
 
 

 もちろんこれだけなら限られたディテールに過ぎない。しかし、こうした引用を手がかりに振り返ってみると、彼の映画はすべて、『オズの魔法使』のある種の変奏、あるいは現代的な解釈であるように思えてくる。魔法の国で過ごす時間は楽しいが、いつか我が家に戻らなければならない時が来る。ヴァン・サントが関心を持っているのは、その魔法の国ではなく、帰り道の方だ。何らかの事情で現実と隔たりのある人生を送ってきた人間が、どのように現実を受け入れていくのか、あるいは、受け入れられないのか。彼はそれを描きつづけているのだ。

 『ドラッグストア・カウボーイ』のボブは、仲間の死と帽子のジンクスをきっかけに、堅気の道を歩み始める。『マイ・プライベート・アイダホ』のマイクは、男娼の生活のなかで母親の面影が何度も脳裏をよぎり、記憶に刻まれた我が家に通じる道を探し求める。神から与えられたヒッチハイクという人生に疲れた『カウガール・ブルース』のヒロインは、自分が帰ることのできる場所ともいえる女性に出会い、変貌を遂げていく。

 『誘う女』のヒロインはテレビの世界の虜となり、現実を憎み排除しようとする。この映画で、氷の下に眠る彼女の姿は、最後までテレビに囚われた人生を象徴している。幼い頃に心と身体に深い傷を負った『グッド・ウィル・ハンティング』の主人公ウィルは、天性の才能と知識で武装し、仲間以外の現実を排除する。しかし、同じ傷を持った大学講師ショーンとの心の触れ合いを通して殻を破り、現実に踏み出していく。

 『小説家を見つけたら』に登場するジャマール少年もまた、その優れた才能ゆえに、魔法の国と現実のはざまで苦悩することになる。魔法の国とは大作家フォレスターと彼の部屋で過ごす時間である。現実とはジャマールが通い出した私立校の世界だ。私立校で彼が能力を発揮しようとすると、彼の前には障壁が立ちはだかる。そして、バスケットでは障壁を乗り越えるが、文学ではそうはいかない。感情を抑えられなくなった彼は、禁じられた魔法を使うことで、逆にクローフォード教授に追いつめられてしまう。 しかしクレアの父親が、州大会決勝に勝てばすべてを水に流すという話を持ちかけ、フリースローのチャンスがまわってくる。それがこのドラマのひとつのポイントになる。

 前作『グッド・ウィル・ハンティング』では、ウィルの将来をめぐってショーンとランボー教授のあいだに対立があった。ランボーは、無限の才能があるならそれをとことん生かし、成功を極めるのが当然のことだと考えるのに対して、ショーンは、どんなに才能があっても自分の道は自分で決めるしかないと考える。この「小説家を見つけたら」でも、共通する主題が異なる視点で描かれている。

 ジャマールのように決して豊かとはいえない黒人家庭に育った若者なら、将来は、バスケットや野球といったスポーツの世界かヒップホップのような音楽の世界に進もうとする。ということは、才能はあらかじめその領域が社会状況によって規定されていることになる。これに対して文学は、もしジャマールにもともと尊敬する黒人作家がいて、自分も同じ道に進もうという目標があれば別だが、彼はただそれが好きで、自然に育まれた才能なのだ。

 この映画では、彼がフリースローを失敗したのか、故意にはずしたのか必ずしも明確にされないが、筆者は故意にはずしたのだと思う。もしそれを決めてしまえば、他にも道があるのに、外部によって規定された才能によって社会に受け入れられることになるからだ。彼はフリースローの前に、クレアや教授の顔を見るが、彼らにそんなふうにして受け入れられたくはないのだ。そして、フリースローをはずしたことによって、勝負を決めるボールは、フォレスターに手渡されることになる。

 ヴァン・サントの作品では、『オズの魔法使』の変奏を通して、家族とは何かが問われる。血の繋がった家族に対して、魔法の国でも家族的な絆が培われるからだ。この映画でも、ジャマールから渡されたボールをしっかり受けとめる時、フォレスターは文学の師ではなく父親となる。そして映画のラストで、ジャマールが母親や兄とともにフォレスターの部屋に入っていくとき、彼にとってそこはもはや魔法の国ではなく、揺るぎない現実となっているのである。


(upload:2001/07/08)
 
 
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