60年代、平凡な郊外の生活のなかで不安や孤立感に苛まれ、自殺を図った17歳のスザンナは、親のすすめもあって精神病院に入院する。そこで彼女は、それぞれに異なる病名を背負った風変わりな娘たちと出会い、友情を育み、外の世界で感じた苦痛と混乱から解放されていくが…。
スザンナ・ケイセンの回想録を映画化したこの作品は、どうしても『カッコーの巣の上で』と比較されてしまうようだ。主人公が境界性人格障害と診断されたスザンナではなく、彼女に絶大な影響を及ぼす反社会性人格障害のリサなら、それも頷ける。そのリサ役の強烈な存在感でアンジェリーナ・ジョリーはアカデミー助演女優賞に輝いたが、映画の主人公はあくまでスザンナである。
マンゴールド監督は、人間が心の平安を求める感情やコンプレックスとある種の狂気の微妙な関係を巧みに描きだしてきた。『君に逢いたくて』では、母親とふたりで食堂を切盛りしてきた内向的なシェフが、想いを寄せるウェイトレスとの時間を失いたくないために、入院した母親の死を伏せつづける。
『コップランド』では、巷で毛嫌いされる警官が郊外に築きあげた自分たちだけの楽園を舞台に、警官とマフィアの癒着や不正揉み消し工作に気づいた地元保安官の複雑な立場と心理が浮き彫りにされる。
スザンナは、自分が不完全であることを容易に受け入れられる病院のなかで心の平安を得る。確かに彼女は外の世界での抑圧から解放されるが、それは同時に逃避でもある。マンゴールドはそんな彼女の立場を、『オズの魔法使』のドロシーになぞらえる。魔法の国には心から信頼できる仲間がいるが、それでも自分の意思で現実世界に戻っていかなければならない。
リサに追随するスザンナは、彼女のように実存的には生きられないことを痛切に思い知らされ、自力で家に戻る決心をする。
マンゴールドは自分の映画のなかで意識的に、主人公が置かれた状況が、物語の最初と最後で傍目には何も変わっていないことを示す。それは人間の内面に対する彼のこだわりを逆説的に物語っている。人間はそう簡単に変わったり、成長することなどできはしない。それ以前に、解放と逃避の境界を見極める目を持ち、現実と向かい合うことが重要なのだ。
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